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S区宗教音楽公論/PK shampoo の歌詞を考察したい

ようやっとPKの新曲が発表されたので、今回は歌詞について考えてみようと思います。色々と趣向が凝らされているようなので全部は拾いきれませんが、目についた部分だけでも。

とりあえず歌詞全文。

『S区宗教音楽公論』PK shampoo

西武新宿死のうと思った
東京でも僕はあの学生街を返り血のように覚えている
神様 やさしいさよならを僕に教えて

盗み出して空に飾るコーラス
基礎からやるには夕日が眩しすぎて 
全て欲しがると苦しい
神様 やさしいさよならを僕に教えて

西武新宿死のうと思った
押さえつけるだけじゃまだ血は止まらない
思い出の曲や映画ともさよなら
ふたりが寄り添った素晴らしき日々

このまま このまま このまま魔法をかけて
歌声 星空 君といたあのきらめきを このまま

このまま このまま このまま魔法をかけて
歌声 星空 消えそうだよラウダ 星をつれて

今夜だけ 僕らふたりだけ 
どこか遠くへ逃げてしまおう
まるで僕らのせいじゃないと言わぬばかりに溶けて
応報刑論よ 僕を引き止めて 
でも神様あの子をさらってよ
宗教音楽公論よ 鳴り止まないで 
ずっと ずっと このまま

そしてMV。


www.youtube.com

 

曲名に入っているS区は、まずは歌詞冒頭やMVに登場する新宿区を指します。上京したヤマトパンクスが辿り着いた地であり、『神崎川』でも歌われた椎名林檎が「新宿系」を標榜したように特定のサブカルチャーにとって重要な街です。

しかし彼は東京にいてもなお、かつての仲間たちやバンドメンバーがいる(いた)あの学生街のことを忘れることができません。学生街には何もない、しかしそこで過ごした日々には海のごとくすべてがあったのです(『学生街全能幻想』)。ここで歌われる学生街はどこのことでしょうか。ヤマトパンクスが在籍していた関西大学吹田市(S市?)にある一方で、かつて彼が年がら年中管を巻いていたシェアハウスは京都大学近くの出町柳にあります。出町柳京都市左京区なので、もしかしたらS区は新宿区と左京区の両面を意識しているのかもしれません。

流れ出る血は過ぎ去った日々、そこにこびりついた記憶の象徴です。その血を切り売るようにしてヤマトパンクスはこれまで曲を作ってきました。しかしその曲であてられるコーラスは「盗み出」されたものです。『3D/biera』(3D/bieraとは彗星の名称です)で歌われたように、コーラスは平衡定数や軌道傾斜角に二度や五度であてられたもの、つまり定数に対して機械的に当てはめたものに過ぎません。しかし、いまになって基礎から音楽理論を学び直すことなどできません。夕日が眩しすぎるからです。いまさら振り返ることなどできません。東京にいるヤマトパンクスにとって、もはや過去を振り返ることは許されていないのです。冷たい東京の街で、彼は必死にもがき続けます。マネージャーに逃げられ、曲のリリースは遅れに遅れ、プロモーションもままならないまま生き続けなければならない。

だから、彼は手首を切りつけます。「思い出の曲や映画」、そして『さよならを教えて』『素晴らしき日々』(どちらもノベルゲームのタイトルです。つまり、ヤマトパンクスにとってのサブカルチャーの総体)に別れを告げるために。

しかし、流れ出る血を押さえつけてもなお鮮明に蘇るのは過去の記憶のみです。過去の記憶しかないのです。彼にとって。

だから彼は神にすがります。神様に頼ることで、彼は過ぎ去った日々に代わる「あの子」をどこかに見出すのです。ラウダとは神を称える歌です。

「今夜だけ」「どこか遠くへ逃げてしま」いたいほどの冷たくドライな現実に直面してもなお、彼は応報刑論(目には目を)に則りその現実を受け入れ自らを「S区」に引き留めます。でも神様に「あの子」をさらうことだけは願います。ここでは、君をさらおうと手を繋いだ『神崎川』でのヤマトパンクスと、神様に頼らざるをえないほど憔悴した『S区』での彼が残酷なまでに対置されます。泣いてしまいます。ここの歌詞を聴くたびに。

宗教音楽公論という衒学的な世界に思いを託し、それがまるで魔法だと思いこんで、彼は自らを現実に引き留め、また前に進もうとするのです。

そんな決意を前にして、本当に泣いてしまいます、俺は。

以上です。

 

おまけ・梅田のゲリラ路上ライブ時のヤマトパンクスとその時にもらったサイン。うらやましいでしょう
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