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帰ってきたよ、THE BACK HORN

こんにちは、皆さん音楽聴いてますか?俺は聴いてます。

ところで、皆さんは人生ではじめに買ったCD覚えていますか(10年後にはこの話題、通用しなくなるんだろうな)?俺はわりとはっきり覚えていて、中学一年の頃に買ったTHE BACK HORNのベスト盤ですね、今もラックのすみでホコリを被ってる2枚組のアルバム。

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(普通にとったのに画質が悪い…)

 

 

当時の俺はこのアルバムをWALKMANのボタンが陥没して音量が下げられなくなるまで聴き倒した。それこそ友達と行ったカラオケでのレパートリーはバックホーン一択、高校生になって周りが流行りのバンド、カナブーンやAlexandrosを聴き出すような頃には、俺はナンバガブランキー辺りを聴きまくっていて全く音楽の話が合わないようなバンドオタクとなっていた。

とにかく、バックホーンというバンドは俺の音楽にたいする考え方、いや最早人生観にまで小さくない影響を与えためちゃくちゃに偉大なバンドなワケだ、俺のなかでは。

そんなバックホーンの様子がここ数年何かおかしくて、俺としては気が気じゃなかった。

 

ところで、皆さんのバックホーンの印象はどんな感じなんだろうか。やはりライブバンドの印象が強いかもしれない。

こんな感じのライブ映えするバンド(ロッキンだとレイクステージの主)、あるいは初期のバックホーンを知ってる古参の方には陰鬱な世界観のバンドという印象があるかもしれない。


初期の曲(これがメンバー10代の頃に作られたってマジか?)

 

そもそもTHE BACK HORNというバンド、アルバムごとに、いやひとつのアルバム内ですらかなり幅広いタイプの曲をやるバンドなので並大抵の変化球ではファンは驚かないのですが。

 

 

気でも狂ったか?(正常に戻ったという説もある)

他にも、

 

 

宇多田ヒカルとコラボしてみたり、

 

 

慣れない英語歌詞に取り組んでみたり、

 

キートークのパクリをしてみたり。

ここ数年のバックホーンの音楽性は熱心なファンの目から見てもブレていた。

 

恐らく彼らの心境に明確な変化があったのは震災後で、東北出身の彼らは音楽性に少なくない影響を受けた。彼らは絶望のかわりに希望を歌った、死のかわりに生を歌った。そのことがいいとか悪いとかではなくて、ついていけくなったのだ、彼らほどに震災を真摯に受け止めなかった俺たちには。

 

そんな中で発表された新曲『心臓が止まるまでは』。


フルバージョンは↑から飛んでほしい。

 

正直、ここ数年俺はバックホーンから遠ざかっていた。ほかの多くのいい音楽を知ってしまったし、彼らは変わったから。ただ、変わらないと思っていた俺がおかしかったのかもな。ひとは変わるし、変わっていくことで何かを得るのだから。まあなんだ、この曲はめちゃくちゃいい。大げさなまでにおどろおどろしい世界観、うねりまくるベースラインと相反するように簡素なリズムギター、そしてVo.山田将司の悲痛にも伸びやかな叫び。俺は傲慢にも、帰ってきた、と思った。

さあ言葉を刻め 生き抜くために
滾る想いは血の味だ
心臓が止まるまでは
全身全霊生きたがって叫ぼうぜ

違った。彼らはどこまでも生を歌う。各所に取り入れられた打ち込みや、そぎ落とされた音数は彼らがここ数年で身につけた武器だ。これは、いまのバックホーンの音楽だ。思えば、去年(2018年)発表された初期の音楽性を明確に意識したミニアルバムやインディーズ時代の再録盤はこの音楽性に到達するための布石だったのかもしれない(浅はかにも当時の俺はファンの要請にすごすご従いやがって、などと思っていた)。こうして聴いてみると、この新曲を通して彼らの音楽性が地続きであることがわかる。過去と現在を包含し、未来を見据えたこの曲は、めちゃくちゃいい。

 

 

 

 

この曲は配信限定だ。はじめてベスト盤を再生したときのような青いワクワクは、物理的にも精神的にも、もう味わえないけれど、それでも俺はこの曲を素直にいいと思った。素直にいいと思えた自分が嬉しかった。

俺はこんど、本当に久しぶりにバックホーンのライブへ行く。本当に久しぶりだ。

帰ってきたよ、THE BACK HORN。お待たせしました。

 

おわり

 

 

 

 

 

今週のお題「わたしの好きな歌」