鼻紙diary

スーパーおもしろブログ

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2月日記

・全然読んでもらえてると思ってない人から「ブログ読んでるよ」と言われるとすごい嬉しいですね。

・なので最低月一更新はしようと思ってるのですが、2月書くの忘れました。まあ誰も読んでないしいいか。

・てか書くことがないんだよな。2月のはじめの方は大学のレポートに追われ文章書くリソースが奪われてたし、そもそも何とかとかいうしょうもねえカスみてえな病気のせいでなんのイベントもないから。

・でも、ようやくレポートも終わったから少しずつ小説を書いている。最近俺の書いた小説の感想を貰って、それは俺の文章はいつもの「生活」に目を向けている、という指摘で、確かにそうだな、と思った。生活のテーマは俺が意識的にも無意識下でも意識せざるを得ないという感覚が常にある。なぜなら、何かの作品を目にしたり、誰かのSNSアカウントを覗き見たとき、そこには世の中の華々しい部分だけが煌めいていて、そこに俺たちの目は奪われがちだが、その実、テレビの人気者も、かっけえアーティストも、俺も、あなたも、その人生の過半を占めているのは日々の生活に他ならない。そして、その日々の生活は、よく知っているように、めちゃくちゃつまらん。何が楽しくて毎日床のゴミを掃除して、自分の体を清めて、着替えて、労働せにゃあかんのか。つまらん。しかもそれが"死ぬまで"続くって、これを考えた奴は狂ってる。でも、全人類にこの生活が与えられているって、それも本当だ。この感覚は多分俺が思っているよりもずっと大切で巨大な観念のように思える。そして、そこに光を当て言語化する試みこそが芸術の原動力である、というのは言い過ぎだろうか。同じようなことを誰かが言っていたから言い過ぎではない気もする。なので、次の俺の小説も生活からは切り離せないものになっているだろう、多分だけど。

ゆるゆりが好きすぎる。ゆるゆりを好きになってそろそろ一年が経つが、相変わらずゆるゆりが好きすぎる。最近、ゆるゆりの何が面白いのかを考えている。三上小又先生の名作『ゆゆ式』で一貫して描かれているテーマは「ノーイベント・グッドライフ」で、それはまさに前述した生活に光を当てる試みにほかならず、それを"空気系"に大々的に採り入れる試みは凄すぎると言わざるをえないが、一方でゆるゆりではイベントはイベントとしてしっかりと描かれている。例えばごらく部と生徒会の夏休みのキャンプの思い出は一本のOVAにまとめられているように。『ゆゆ式』の試みは素晴らしいと肯定したうえでの意見として、ゆるゆりのその試みも同時に素晴らしい姿勢であると思う。だって、実際の中学生だって夏のワクワクするようなイベントに心を躍らせているのだから。その心の昂ぶりを丁寧に描写しきることは、『ノーイベント・グッドライフ』と同じくらい尊重すべき姿勢のような気がする。

・そういえば、ゆゆ式ゆるゆりと同時期に制作された『きんいろモザイク』の2期の構成を俺は事あるごとに絶賛しているのだが、どこが素晴らしいかというと海回の助走を3話くらい使って夏の始まりから丁寧に丁寧に描写したことで、脈絡なく水着回を用意する凡百アニメとは一線を画すものだったなあ、と放映から6年がたった今でも時折思い返えしてはBlu-rayを引っ張り出してみたりする。

・最近のアニメだと、またしてもきらら系だが、『落ちこぼれフルーツタルト』を観た。これも、売れんアイドルの細々とした生活に焦点を当てたアニメで、アイドルのきらびやかな側面は極力排除して描かれていて、しょうもねえお色気シーンが多すぎることを除けば良作だったと言えるだろう。個人的に印象に残ったのは炊き出しのシーンでメンバー全員がマスクをつけた作画をされていたことで、こういった何気ない描写も今後変わっていくのかなあ、と思った。

そんなところです。さようなら