鼻紙diary

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寝ても醒めても

ここ2日くらいずっと考えてたことがようやくわかった気がするから、これを書く。

たぶんこの話はもうこれ以上蒸し返すことはないと思う(もっと普遍的なはなしとして再考することはあるかもしれないけれど)。

ずっと考えてたこととは、俺が言った「書き手が媚びる」とはどういうことかなんだけれど、それがどういうことかようやくわかった気がする。自分の中にあったことばと考えがやっと一致した。

「書き手が媚びる」とは、つまり「書きたいこと」を「本当の声で(だけで)」「書かない」ことなんだと思う。

「本当の声」というのは俺のことば(俺のことばというにはあまりに普遍的かもしれないけれど)で、自分にとって心地よい、違和感のないことばのこと。ものすごく抽象的で申し訳ないけれど、そうとしか言いようがない気がする。でも、本当の声でものを書きたい、という思いはすべての書き手に、いやすべての表現者にとって共通の願いじゃなかろうか。俺はこの本当の声を自分の中ですごく大事にしていて、本当の声でギュッと凝縮したような文章を書きたいなあ、と思う。

だがしかし、本当の声だけで表現することはとてつもなく困難なんだと思う。思う、というか困難だ。だから俺たちは本当の声たちを繋ぐように、別のことばを継ぎ足して、形にする。別のことばを継ぎ足せば継ぎ足すほど、その表現はあらゆる人にとって解りやすく、共感できるものになるのだろう、なぜなら、本当の声はすべての人にとってまるっきり違うから。本当の声をひとびとに伝えるために俺たちは本当の声を厳重に梱包して、誘導灯をいくつも焚いて、表現を構築する。

恐らくほぼすべての表現者がその手順を踏んでる。つまり俺のことばに従えばほぼすべての表現者が媚びてる(何に媚びてる?必ずしも読者にではないはずで、書くという行為自体に媚びてるのかもしれない。ただそれが普通なんだ、なぜなら表現とは人に伝えることが前提なんだから。でも。でも俺は)。でも俺はむき出しの本当の声だけで表現することを選んだ(この前の小説が解りづらいと思われた原因はまさしくここにある)。

それはなんでかっていうと村上龍っていうオッサンのせいなんだけど、そのはなしは置いておこう。

で、話をさらにややこしくする原因は、「書きたいこと」が人によって面白いくらいばらばらなことだと思う。「書きたいこと」とはつまり書く目的や立場、目標、それから紡ぎ出された表現のこと。俺はこの書きたいことがまだ掴みきれていなくて、ふわふわ浮いているからこの話が難解に思えたり、他人のことばが針にみえてしまったのかもしれない。

結局、書きたいことという土台がしっかりしていて、本当の声をうまく伝達できる表現があって、というのが表現者がふつうなすべき事柄。俺はその土台すらあやふやで、本当の声の伝達を全くせずに本当の声だけで殴りかかってくるやべ~奴だということだ。

たぶんこの土台を固めに固めて、むき出しの本当の声でぶん殴ってきたのが村上龍で、俺は村上龍にぶん殴られた慣性でいまも文章を書いている。土台、固めてえな~~

まとまりのない文章だな。そういうとこやぞ

土台固めるためにはもっと本を読んだりするのが大事だと思う、GWに本読むぞ~~