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【報告】サイト作りました

こんにちは、皆さんインターネットやってますか?俺はやってます。

ある人から、自分のサイトつくったら?と言われたのでがんばって作りました。

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以降、このブログの主体だったオタク語り記事はすべて夜間通用口のほうに移行することにして、こっちの鼻紙のほうはかなり個人的な日記にしようかな、と思っています。

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今までこのブログに記事を寄稿してくれたZXEくんもこれからは通用口のほうに記事を書いてもらうよう頼んだので彼の記事を楽しみにしてた方もブックマークしてくださいね。

他にも何人かの知り合いに記事を書いてもらうよう依頼しているのでそちらもぜひ楽しみにしてください。

 

【嘘の思い出】線香の匂いがする先輩の話

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文化祭の前日だった。

文化祭の準備で走ってる奴が嫌いだ。

そんなことを考えながらの、歩行。

もしかしたら皆さんも文化祭の一日前にせっま~い学校の敷地内をお駆けになっていたかもしれない。それ、走る必要ありましたか?

お前らの用事は走らなくても間に合うぞ~!って走って追いかけて教えてあげたい。あとトランシーバみたいな機械で話してる奴らにも、それLINEでよくね?って教えたい。それLINEでよくね?どうぞ。

 

出た出た、これだから陰キャさんは……どうせ文化祭で充実してる人たち見て僻んでるんでしょ?確かに、彼らへの僻みが無かったとは言わない。

何ならあった。俺も制服でディズニー行きたかった。いや行きたくないな。たぶん俺が行ってもトゥモローランドのゲームコーナーで一生アフターバーナーIIやってるだけだから。え、もうあのゲームコーナーないんですか?

 

とにかく、俺たちが校内を駆け回る奴らに抱いていた感情は僻みというより萎縮だ。中学時代の文化祭(これはマジで申し訳ないんだが、中学生のころの記憶が断片的過ぎて何年生のエピソードか覚えていない)、クラス中が一丸になってお化け屋敷の準備をしてる中俺は段ボールを持ったり持たなかったりして運んでる感じを演出し一日を過ごしていた。文化祭当日は仕事のない時間はずっと図書室で灼眼のシャナを読んでいた。

普通に、輪に入って準備に参加できないことが申し訳なかった。俺よりも割りきった考え方の奴は文化祭の一日前に学校に来なかったんだろう。中途半端にプライドと孤独の耐性がないやつがひたすら萎縮してた。たぶん、一生こうなんだ俺は………………。

 

ただ、高校一年の文化祭だけ、めちゃくちゃ覚えている。覚えすぎてて、あれから10年経過した今でさえ夢に見るし、線香の匂いがするたびに、思い出す。線香の匂いがするたびに。

 

高校一年生の俺は焦っていた。飾らずに言えばイキっていた(ちなみに高校デビューは普通にミスり、クラスの中心から一歩遠ざかった集団に属していた。人はそれをキョロ充という)。

まだ暑さの残る九月の初めだった。確か、夏休みが終わって数日もたたない頃で、高校は文化祭の準備で俄かにざわついていた。文化祭は九月の初めにあって、おれはそこで何かしてやろうという根拠のない衝動(それは、十代特有のものだということに最近気づいた)が渦巻いていた。具体的には彼女が欲しかった。それはもう、めちゃくちゃに。

 

思うのだが、高校一年ほど彼女をつくりたいし、しかもできる期間はない。だからここでガチればクラスの中心から一歩遠ざかった俺でも彼女ができる気がした。しかも学生が浮足立つことで世界的に有名な文化祭だ。逆にここで無理だったら一生教室の隅で緋弾のアリアを読もうと思っていた。

 

そんな、夏の終わりの、事件。

文化祭の前日だった。

文化祭の準備で走ってる奴が嫌いだ。

そんなことを考えながら、歩行。(ここで冒頭に戻ると理論上永久にこの文章を読めます)

 

前夜祭の最高潮にクラスメイトの高木さんに告白しようと思っていた。事前情報によれば高木さんに彼氏はいない。理科の実験で同じ班だった時に結構話したし。根拠のない衝動が渦巻いていた。

 

そんな、夏の終わりに、事件。

よりにもよって廊下の曲がり角で。

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衝突。硬さと柔らかさが複雑に入り混じった感触。舞い上がる折り紙で作られた飾り的なやつ。そして強烈に鼻腔に流入する線香の匂い

体幹が終わってる俺は自分でも引くくらい後方に飛んで、なぜかキモイ姿勢で着地した。

俺と衝突した知らん女の先輩はその場に尻もちをついて「いたた……」とでもいった風に腰をさすったりしている。

これはあれか??!!平成ラブコメ元年か??!!(意味不明)

ラノベの読みすぎで脳が狂って4DXの幻覚が見えたのかと思ったがそうではないらしい。

始まってしまうのか?すまん、高木さん……(高木さんはこの文章に二度と出てこないので忘れてください)。

いや、待て。この女の先輩も廊下を疾走していたに違いない。ということはこのひとも「そっち側」か。この世には二種類の人間がいる。文化祭の準備で走る奴と、文化祭の準備で走らない奴。この両者にある溝は君たちが思っているよりも大きい。

立ち上がった女の先輩は俺よりデカかった(当方165cm)。

そのうえ異様なほど長い真っ黒な髪の毛は腰まである。

長い前髪で半分隠れた瞳のびっくりするくらい透き通った茶色と、口唇の薄い紅色。

足腰は折れそうに細くて、地味なセーラー服から露出して視認できる肌は猟奇的な白さ。

足元にはひらひらした折り紙で作られた飾り的なやつが散る。

その光景はまるで……なんだ……夏野霧姫(俺はラノベの読みすぎで脳が狂っている)?

「こんな人いたっけ……」ビジュアル面の強さのせいで衝突したこと自体は吹っ飛んだ。

霧姫は少しだけ申し訳なさそうな顔をしながらこっちに近づいてくる。デカい……

俺をやや見下ろすような姿勢でこう言われた。

「痛かったねぇ……?」

どの立場なんだ……?

理解が追い付かない。

「だ、大丈夫っす」絞り出す。

「怪我無いか見るから」ちょっと来て、

霧姫は俺の右手首を引っ張って駆けだした。いや、駆け出すのは状況的におかしくないか?

「いや、ほんとに大丈夫ですから」

俺の言葉も聞かず霧姫は廊下を小走りで駆け続けるし、足元のひらひらした折り紙で作られた飾り的なやつは床に完全に放置されていた。あれはなんだったの。そういう演出?

「ここ」

と、部室棟三階のPC部と囲碁将棋部に挟まれたちっさい教室に掲げられたプレートには

文芸部

うちの高校に文芸部ってあったか?

「本当になんもケガとかないんすけど…」

一応抵抗してみる。

「いいから。とにかく」

が、結局謎めいた迫力に負けて部室に上がらされた。

部室には何もなかった。やけに細長い。細長い教室に細長い机とパイプ椅子が設置してあるだけ。本棚すらなかった。長門有希の部室ですら本棚はあったぞ。ただ壁に忍耐と書かれた掛け軸が飾ってあった。これに関しては完全に謎。ノイズを設置しないでくれ。

 

「ほんと痛かったねぇ……?」

霧姫は俺をさび付いたパイプ椅子に座らせると俺に覆いかぶさるような姿勢で俺をまじまじと見つめる。線香の匂いが鼻という鼻をくすぐる。俺はどうすればいいんだ?俺は、俺は……

エッッッッッッッッッッッッ!!!?!?!?!???????

すいません、えちえちセンサーが作動してしまいました(このとき顔と顔とが近距離で向かい合っていたのだが気まずさが気まずさとかそういう次元を超越しているのでずっと薄ら笑いを浮かべたまま斜め右上の虚空を見つめていた)

一通り俺を眺めつくす(ケガがないか確認したのか?)と霧姫は満足げに立ち上がって部室の窓を閉めにいった。晩夏の少し湿っぽい風は遮断され、途端部室の空気は淀む。

このままネットワークビジネスの勧誘を受けてもギリ理解の範疇だったが(これは完全に余談だが、以前ゲーセンで格ゲーをやっていた時に親し気に話しかけられたと思ったら宗教の勧誘だったことがある。みんなも気を付けよう!)。

「アイスティーしかなかったけど、いいかな?」

え…………?まずいですよ!せんぱぁい(中川圭一)!

「いやっ、もう大丈夫なんで…」

「アイスティー、嫌いだった?」

「そういうわけじゃないですけど……」

「ちょっとまってて」

「…………」

そういうと霧姫はどこからか飲みかけのアイスティーのペットボトルを取り出し俺に差し出す。

「これ……先輩のじゃないすか」

「うん。私はいいから」

そういう問題か?ここで俺が彼女を先輩と呼んだわけだがそれは他に適当な呼称がなかったからで、後にも先にも彼女を名前で呼ぶことはなかった。

何故か引き下がれない雰囲気が出てしまったので、観念してペットボトルに手を伸ばす。地獄のようなティータイムだ。地獄の放課後ティータイム(正確にはまだ昼前である)。

「じゃあ……いただきます」

「うん」

こちらを見ている。まじまじと。全神経が口元に集中しすぎて、飲み口に唇を付ける際に舌が先行しすぎてキモイ感じにねぶるようになってしまった。幸か不幸か、彼女の表情は全く動かない。

「何年生?」

うわ。この状況で会話するのか……?

「1年です」

「部活とかやってるんだ?」

「いや、帰宅部ですけど」

「へえ、一緒だね」

(じゃあここは何?)

「彼女とかいるでしょ?」

「いや、今はいないです、今は」

「ふーん、そうなんだぁ」

意味深な微笑みに線香の匂いが混じり、くらくらする。

「あのねえ。キミも学生なんだからさ……」

そのとき、風が吹いた。ように感じたが正確には俺の携帯が鳴った。

俺は普通に電話に出ようとした。何しろもう何十分かわからないが結構な時間クラスに戻っていないのだ。

しかし電話には出られなかった。

「だめ」

彼女の両手で俺の右手と携帯が接着された。強い力は込めてないはずなのに、俺の手は全くもって動かなくなってしまった。

その手はほのかに暖かくて、めちゃくちゃ細いのに、めちゃくちゃ柔らかくて、そのまま時間が止まった。空っぽの部室に俺の携帯の着信音(デフォルトで入っていた少年時代のオルゴールバージョン)が鳴り響いている。半径1メートルの中で世界が完結し、収束していた。この間、俺が呼吸をしていたかどうかは定かではない。ただ、その時にも確かに俺の嗅覚は線香の匂いを知覚していたから、恐る恐る鼻呼吸を試みていたのだろう。

彼女はよくわからないほど大きな瞳で俺をじっと見据える。誰のあこがれにさまよってんだ?俺は。

ザ・ワールドは少年時代の演奏が終わるのと同時に解かれた。

 

「あの、もう行かないと」

「うん。またね」

意外なほどあっさりと俺は解放された。

そのときの俺はクラスでの自分の立場を異常なほど重視していて、クラスでの居場所を失うことが死ぬより嫌だった(ちなみにこの後俺はクラスの中心から少しずつ自動的に遠ざかってゆき、物理的にも構造的にも俺はクラスの最外殻を構成することになったのは言うまでもない)。

そう考えるとあの時俺があの部室に残り続けていたらどうなっていたのだろうということは今まで779万回は妄想したし、この先も∞(インフィニティ)回は妄想するだろう。

 

それから、あの先輩とは会っていない。噂だと、文化祭の前後に急に転校していったらしい。聞いた話では、彼女はいつも一人でいるタイプの生徒だったらしく、彼女と会話したことのある人間はほとんどいなかった。じゃあ俺に見せたあの姿はなんだったんだ?未だによくわからない。

そもそも先輩は文化祭でなにをしようと思ってたのだろう。なぜ彼女は文化祭の準備で走っていたのだろう。なぜ文芸部の部室に?これは小説ではないのでそこら辺の伏線は回収されません。というか普通に誰か教えてくれ。もしかしたら、彼女も文化祭で変わろうとしていたのかもな。知らんけど。詳細キボンヌ(2009年のVIP)

 

結局、そのあまりに強烈な体験をしてしまったあとに告白などできるはずもなく、俺は残り二年半の高校生活を教室の隅でゼロの使い魔を読みながら過ごした。

文化祭が終わった後で文芸部の部室をのぞいてみたが、そこには誰もいなかった。

興味本位で掛け軸を捲ってみたら、真ん中にZZ(ダブルゼータガンダムのシールが貼ってあった。

もしかしたら霧姫が貼ったのかとその時はなぜか思って、シールをはがし大切に保管していたが、気付いたらどこかにいってしまった。

彼女の痕跡は何もかもなくなってしまったが、線香の匂いがするたびに思い出してしまうのだ。

俺の灰色の人生の中で、あの一瞬だけが鮮やかに再生される(YAZAWAプレモルのCMみたいに)、というのはさすがにキモ過ぎて死にたくなってきたな。

 

おわり

 

 

 

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踊ってばかりの国で、音楽の少しまじめな話をしたい

こんにちは、皆さん音楽聴いてますか?俺は聴いてます。

ところで皆さんは「音楽の良さ」ってなんだと思いますか?何をもって音楽を良いと思いますか?

 


あいみょん - マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

この曲はいいですよね、歌詞にインパクトがありますし、サビは耳に残るキャッチーさがあります。だがこの曲が嫌いな人もいるだろう。あからさまに強調されたメロディはカラオケで歌うために作られているようだし、わざとらしく共感を得ようとする歌詞は占い師の胡散臭い語りのようだ、と。

 


MARUOSA モンスターズ・ハイ!!! - Monsters High!!!

俺はこの曲が大好きだ。行き詰まった夜に爆音で聴くと最高な気分になれる。でも多くの人はこの曲をグロテスクな騒音として捉えるだろう。

かつて岡村靖幸は言った。音楽って いい/悪いじゃなくて。好き/嫌いでしかない。これはまさしくその通りだと思っていて、結局は音楽とは各人の好みでしかないと思う、マリーゴールドに感動して泣く人には何の嘘偽りもないし、MARUOSAが大好きだと言ってもそれは正しい。そこには正しさしかない。音楽には常に正しさだけがある、と思っている。だから俺は全ての音楽を作る人を尊敬しているし、全ての音楽を作る人を心から応援している。もちろん、俺が嫌いな音楽を作る人も。

 

とはいっても、ある程度の範囲において音楽の良さは定義できるとも思う。古代ギリシャと古代中国においてほぼ同時期に純正五度の和音に依拠した音律が形成されたのは偶然ではなく、純正五度の和音が人間にとって最も心地よい和音であるという客観的事実に基づいた必然だ。和音の美しさは決して主観ではない。

俺がそんな遺伝子レベルで刻み込まれた音楽の良さに最も接近していると思う音楽のひとつが、踊ってばかりの国の音楽だ。

 


踊ってばかりの国『光の中に』 Music Video(2019)

極限まで削ぎ落とされた音数はまさにその洗練され尽くされて音楽の原初に立ち返るようなメロディを引き立てることに終始しているし、そのメロディ自身もはっぴぃえんどによって再定義された音楽におけるメロディの重要性(さらに振り返ればそこには後期ビートルズの影をも掴むことができるのは言うまでもない)をそのまま抽出し持ち出している純粋さを有している。

現代にあふれかえる音楽は極めて雑多で、音圧がすごくて、歌詞は強くて、何がよくて何が悪いのかをよくわからなくしてしまう。対してこの曲はものすごいシンプルだ。いまのヒットチャートがビッグマックセットだとしたらこの曲は湯豆腐だ。

ちなみに俺は何でもかんでもはっぴぃえんどに結び付けて邦楽を語る風潮は正直どうかと思っている…踊ってばかりの国に関してはっぴぃえんどの影響を避けて通ることはできないだろうが、明らかにサイケを経由していない現代の邦楽ロックまではっぴぃえんどの影響が…と語るのはいささか早計でないか

 

ところで、俺は邦楽ばかり聴く。そこにはちゃんと訳があって(もちろん邦楽ばかり聴いて育ってきたというのはあるが)、俺が日本で生活してきたからだ。それはナショナリズムではなくて、


踊ってばかりの国『ghost』Music Video(2019)

この曲には日本で育ってきた人間にしか感じとれない微妙な情緒、感情の機微があると思う。歌詞にも、演奏にも。これは言語化が非常に難しいが、とにかくそこには何かがある。つまり、ある曲の良さが100あるとして、その内丸々100良さを理解できるのその国の人間だけなんじゃないか。と常々思っている。

 


The Beatles - Don't Let Me Down

この曲は俺にもめちゃくちゃ良いというのがわかるが、たぶん英国で育ち英国の文化を無意識に取り込み続けた人間には俺には感じとれない良さがめちゃくちゃあるんだろう。

だから俺は積極的に邦楽ばかり聴く。すこしでも多く音楽家の意図した音楽の良さを感じ取れる。かもしれないから。

だから、例えば国産シューゲイザーを聴いて「こんなのマイブラ聴けばいいじゃん」と言うのは的外れなんですよ。たぶん。

だいぶ話がずれてしまったが、俺が言いたいのは、踊ってばかりの国の音楽は日本的な情緒に溢れている気がするということ。そこには邦楽の文脈を的確に捉えた音楽への敬愛を感じるし、それをリスナーに咀嚼して分かりやすく提示するメッセージもある、ということ。それは、客観的にみても明らかな「音楽の良さ」だと思う。

普段から色々な音楽を聴いているひとは時折音楽の何がいいのかがよくわからなくなってくることがあると思う。そういう時は究極に洗練されたこのバンドを聴けば、日本産のロックを聴くことの意味、ひいては音楽を聴く意味がよくわかってくると思います。

以上です

 

 

 

『仮面ライダージオウ』最終回。ソウゴもジオウも、間違いなく王様だった

仮面ライダージオウが、そして平成ライダーが、きょうついに最終回を迎えた。

 

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このキービジュアルの何人かのライダーが当初ディケイドライバーを付けていて…なんて騒動も一年前のことだ。そして、オリジナルキャストの出演情報によってざわつく界隈。ディケイドが30話起こした「祭り」を、ジオウは見事に一年間走り続けたと言っていいだろう。改めて、お疲れ様といった感じだ。

最終回「アポカリプス」は展開自体はかなり強引でしたが、結末としては『龍騎』を思い出す着地になりました。流石に裏切り系は食傷気味なので、もっと手札が無いの?とは思いましたが。

ただそのぶんグランドジオウの復活やオーマジオウの戦闘など、演出面は派手で良かった。ダグバやエボルトをワンパンするのは少しヒヤヒヤしましたが、一年間オーマジオウを溜めに溜めてきた不思議なカタルシスが免罪符に。

ディケイドもそうでしたが、最強の座をアニバーサリー作品に置くことで、他作品の魅力を際立たせているような気がします。

 

さあ、『ジオウ』総括です。

 

 

平成ライダーの王

 

 

ジオウはオリジナルキャストに向き合った。

何度も比較してしまうが、リ・イマジネーション(再構築)することで過去のライダーを描いたディケイドと違い、ジオウは一年間で本物に向き合い続けたのである。

 

ビルド・エグゼイドの最近のキャストから始まり、アギトや龍騎といった一期の懐かしい面々、アクアやエターナルのような予想外のライダーに、「架空のオリジナルキャスト」という変化球のミライダーたちまで。

 

そして外せないのが、冬の「平ジェネ」と夏の「OQ」で出た彼らだ。

 

俳優としての格もさることながら、何よりもあの『電王』の主役なのである。

変化球で始まったと思えば、いつのまにか圧倒的熱量を持って完結したあの『電王』。役者がどんどん変わっていったにもかかわらず、続編が作られ続けたあの『電王』。

あえて暴力的な言い方をすれば、『超電王』という偽物(作品の質にかかわらず)が既に出されてしまった作品に対しての、これ以上ない“本物”だった。『平成ジェネレーションFOREVER』は、「あの頃ライダーがいた」という“本物”の記憶を呼び起こすエモーショナルな作品だったのである。

 

 

 

これに限らず、ジオウはオリジナルキャストを出すことで平成ライダーを総括していった。

印象的なのはグランドジオウの初登場シーン。思わず以下のような記事を書いたが、“本物”のリプレイのような演出によって、いかにジオウが平成ライダーを統べる王たるかというのをまざまざと見せつけられた。

 

王の誕生を祝う - 鼻紙diary

 

最終回、久し振りにリプレイをスウォルツにブチ込んでくれたのも最高に爽快でした。あの圧倒的に短い尺の中でまさかの変身音フル!夏休みの宿題が終わってないのに遊ぶような、悪い贅沢をしてる気分。

まあ、もっと「歴史が消える」ということに尺を使えれば映えたんでしょうけど…ないものねだりか…

 

王様とは

 

 

ジオウの面白いところは主人公が「王様」を目指しているところである。

王様。

今の時代、中途半端に歴史を学んだものからすれば、王様とは旧時代の遺物というイメージが強いのではないか。番組当初、私がソウゴに抱いた不審な印象はそれが原因だと考えている。

 

言うまでもなく、民主主義が良い。民主主義についても王政についても研究したわけでもないのに、私は思慮の浅さゆえにこういった思い込みを持っている。

なぜなら、そこには自由の保障があるからだ。民衆の選択が反映される社会に王様は必要ない。なんとなく、そんな気がしてしまう。

 

もちろん、『ジオウ』が王様を目指す主人公を打ち出すからには、「王様」の定義をしっかりしてくるだろうとは思っていた。

たとえば『暗殺教室』が「暗殺」というキャッチーなフレーズをしっかり教育論に結びつけて再定義したように、私は「王様」の再定義を一年間待ちわびていた。

 

それが形になった、と感じたのがのが『OQ』である。

 

遊び心に溢れ過ぎた、歴史に残らない快作『劇場版 仮面ライダージオウ』を観よう - 鼻紙diary

 

世界をぜんぶ良くしたい。みんな幸せでいてほしい。そう思ったら、王様にでもなるしかないじゃないか!

 

これは第1話「キングダム2068」にて、ソウゴが初変身の直前に放った台詞である。世界を良くしたいと言う純粋な願いが最初に提示されている。

 

彼が王様を目指す根源は、弱い人へ手を差し伸べる実にヒーローらしい感情だ。

しかし、それは第一話の時点では不気味ささえ帯びるほど純粋な願い。ソウゴはいずれ「最低最悪の魔王」と呼ばれるという事実が不気味さを物語の要素として加速させる。

 

『OQ』でその不気味さは王の定義として昇華された。『FOREVER』が“本物”を縁取る映画だったとしたら、『OQ』は影に隠れた“偽物”にスポットを当てる映画だったのだ。

佐藤健という本物の客演から一転、まさかのパロディ「仮面ノリダー」の客演から始まり、バラエティのG、舞台の斬月、漫画のクウガと大騒ぎ。

彼らは本物ではない。選ばれなかったと言い換えても良い。しかしそれでも、彼らは人間の自由のために戦う仮面ライダーなのである。

 

映画にて敵を打倒するきっかけは彼らが“溢れ出す”ことだった。枠に収まらない平成ライダーたちを、ジオウは肯定し、受け入れる。

ソウゴの純粋な願いは、平成ライダーという土壌でこれ以上はないという形で実現された。それが『OQ』だ。クオリティに賛否両論があっても、ジオウの映画としてはこれ以外ないものだったといえよう。

 

力あるものから力を継承し、力なきものを救う願いを欠かさぬまま王への道を歩む。同時に平成ライダーの本物と偽物の両方に光を当てることで、ジオウという作品自体がソウゴの歩む覇道とシンクロする。

そう、「王様」とは、力なきものの自由のために力を使うもの。それはそのまま、「仮面ライダー」でもあるのだ。

終盤の展開において、各世界の「王」が「仮面ライダー」だという説明がなされた。平成ライダーを20作品作り、その再定義が「王」だったのだろう。

ジオウはアニバーサリー作品なので、何にせよお祭り要素が必要である。その要件を作品内へ転化するための「王様」というキャッチーなフレーズ。計算高く馬鹿をやると言えばいいのか、平成ライダー20作記念として、そうあるべくして生まれた作品が『ジオウ』だったのである。

 

魔王にならないために

 

魔王という言葉も、王様が再定義されれば再定義される。ジオウではオーマジオウという主人公の未来が魔王として描かれてきた。

ジオウトリニティとオーマジオウの戦いで示されたように、王様と魔王は仲間の有無によって区別できるというふうに描かれている。

 

本編で繰り返し描かれてきたが、魔王になるかもしれなくても、ソウゴは世界を良くしたいという願いを捨てきれない。魔王というと独善的なイメージがするが、自分を信じて進むという点では、ソウゴに魔王の素質は十分にあったといえる。

しかしソウゴは、最終的に魔王の力(オーマフォームまたはオーマジオウ)を手に入れてさえも、魔王にはならなかった。それは、彼にゲイツら仲間が居たからだ。

反対に、ゲイツツクヨミといった仲間を失えば失うほど、ソウゴはオーマジオウに近づいていったといえる。

 

ゲイツリバイブという救世主となり、魔王を打ち破るところまで迫った男。

彼は「ソウゴを抹殺する」から徐々に態度を軟化させ、「ソウゴと一緒に未来を創りたい」、最後には「オーマジオウになれ」と言って事切れる。壮絶なデレである。

ソウゴとゲイツの関係は序盤〜中盤で構築されたものが全てであり、そしてこれこそがジオウがオーマジオウになってもなお魔王にならなかった理由だ。

反対に、最終回の時点では、ソウゴがオーマジオウという究極の力を手にしてさえ、魔王にはならないとゲイツは信じたということである。

 

 

倒す相手と目的が定まっている主人公のような背景を背負っているものの、ゲイツは2号ライダーの総決算と言うべきキャラクターであった。

しかしそれは悪い意味ではない。ゲイツが、ソウゴを魔王にしないという目的を持って動くからこそ、ソウゴは魔王にならない。

言い換えれば、様々な事情で負けることも多い2号ライダーという存在も、決して誰かの脇役ではないということだ。

このゲイツの位置付けも、ジオウという作品の優しさ、王としてあらゆる存在へ手を差し伸べる精神性に表れていると思っている。

 

 

未来のことも他人のことも、いくら考えてもわからないものだ。しかし我々は、それを気にして自分のやりたいことを引っ込めることが多々ある。

「嫌われるかも」「失敗するかも」という気持ちに囚われ、やりたいことができない。ソウゴも、ジクウドライバーを一度捨てている。

ソウゴが再び進む決意をしたのは、ゲイツが止めてくれると言ったからだ。濃厚な少年漫画的“ライバル”の文法こそが、ジオウという作品を成立させていると言ってもいい。ライバルも逸材、である。

 

最終回、というかスウォルツはソウゴと対比して常に「間違った王」として描かれたので、結果的にめちゃくちゃ小物になってましたね。

「意見は求めん」という台詞から分かる通り、彼は間違った自分を正す仲間をそばに置かないので、結局独善的になってしまうと。

 

ソウゴの王様になりたいという目的、ゲイツの魔王にさせないという目的が番組を支える軸となってきた。彼らはやりたいことをやらないのではなく、「やりたいこと」のぶつかり合いの中に答えを探してきた。

 

私の心に強く残る言葉がある。龍騎の終盤で編集長が真司に言った台詞だ。

 

お前だってここんとこにしっかり芯がねえと、話し合いにもなんねえし誰もお前の言うことなんか聞いてくんねえだろ。な?

 

平成ライダーでは「アギト」から複数のライダーが描かれるようになった。ライダーに変身するとき、彼らの中には常に目的がある。そして、時には戦う。

ライダーが複数いる意味とは、誰もが魔王にならないまま王様になることを、独善にならずになりたい自分を目指すためなのかもしれない。

ウォズやツクヨミも「語り部」「キーパーソン」という役割と同時に、仮面ライダーの力を手にした。そもそもソウゴたちが戦ってきたのはアナザーライダーというライダーのなり損ないたちである。

ところでウォズ、語り部というところを活かして最初から最後まで縦横無尽の活躍でとんでもなくいい役どころになりましたね…

最後に一人だけ記憶を残している?のも、語り部としては寂しくも美味しいポジション。

 

閑話休題

オーラの死後、ソウゴがスウォルツに対して啖呵を切るとき

 

お前さ、王には向いてないよ

 

と言った。ソウゴは「民を守る」と「王様になる」という二つの目的のために戦う。

前者は昭和の時代から繰り返し描かれてきたし、後者も平成ライダーが向き合ってきた闘いの再定義だと言えるだろう。

 

余談だが、『クウガ』には仮面ライダーは一人しか登場しない。クウガのあらゆる面での高品質さは、「五代雄介が間違っている」という考えをいかに抱かせないかというところにも作用している。少し作劇のバランスを崩すだけで、グロンギ以外に力を振らない雄介の姿は空々しく見えてしまったことだろう。

 

ソウゴ、そしてジオウ

 

以前、こういう記事を書いた。

 

なぜオタクは伏線回収が好きなのか - 鼻紙diary

 

かいつまんで言うと、「意味がないと思っていたものに意味が生まれるときが一番アツい」という私の好みの話だ。

ジオウはお祭りなら空気を出しながら、実にこの繰り返しだったな、と。

 

『FOREVER』にて虚構に想いを。

『OQ』にて枠外へ光を。

本来生まれるはずの無かったミライダーや白ウォズの存在。

最初は変身できなかったレジェンドキャストの変身。

かつて選ばれなかった加賀美や京介の変身。

バトルファイトの終わり。

何より、ゲイツツクヨミやウォズは本来この時代のものではない。彼らも一種の枠外なんですが、それすらも2019年に取り込んでしまうのが、ソウゴの王の器。そして、ジオウが示す平成ライダーシリーズの器。

 

ソウゴは最後、時空を破壊した。仲間を失ってどこまでもオーマジオウに近付いたが、もはや彼は魔王ではない。今は仲間はいないが、仲間がいたからである。

そしてまた、仲間と共に歩む道を選んだ。ジオウにおいて時間はただただ流れていくものではない。過去が未来へ進むだけでなく、未来が過去に影響を与えてきた。仮面ライダーツクヨミはまさにその象徴です。

 

これは少し外れますが、ソウゴ役の奥野さんの演技は凄く上手になりましたね。深いところも持ちつつ、感情表現が素直だからゲイツやウォズがついていくことに説得力が生まれている。すごいことですよこれは。

最終回、ソウゴが戦う時、一挙手一投足の迫力がすごい。これはオーマジオウになるのも当然、という説得力にもなる。

 

王とは、再提示された仮面ライダーとは、弱きものを守るために、力を束ねるもの。

その願いが魔王へ繋がらないように止めるのがゲイツたち仲間の存在、という仕組みは先ほど説明した通りです。

 

メタという言葉に収まらず、平成ライダーそのものを再構成した作品、それが『仮面ライダージオウ』。

とにかく平成ライダーの20作品ぶんを担保にして突き進んできた。ビルドが科学、ゼロワンが人工知能をテーマにするならば、ジオウは間違いなく「平成ライダー」。

 

顔文字や「なんか違う」演出、魔王というワードでジオウの独自性を打ち出す。特に「なんか違う」演出は大好きで、ジオウのやりたいようにやってやるぜ!な感が溢れ出て印象深い。

また、ジオウとレジェンドのバランスをとる目的か、歴史を奪うという形でこれまでにない客演をやっていたのも記憶に残っています。

 

怪人を倒す路線になることでジオウⅡやゲイツリバイブ、ウォズギンガのシンプルな強さも見栄えが良かった。グランドジオウは戦果は悪いものの、初登場シーンでお釣りがきますね。

 

ソウゴと『ジオウ』という作品は幾度となくシンクロします。

やりたいことをやる「仮面ライダー」自体にも魔王となる可能性があるということです。実際、『OQ』は賛否両論というか、手放しで褒めることはできない作品でした。

しかし、シリーズを締めくくる姿勢としては、これほどまでに自作品に向き合った作品も無いんじゃないかとも思うのです。

果たして制作側のなかにゲイツはいるのか?それはこれから先の「令和ライダー」が見せてくれるのでしょうね。

 

ゲイツ、一家に一台欲しいな…自分でならないとだ。

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俺はvtuber鈴鹿詩子を、詩子さんと呼ぶことにした

俺はこの記事をキモすぎてお蔵入りにしようと思ってたんですが、ゆえあって公開します。

 

こんにちは、みなさんバーチャルYouTuber(以下vtuber)は好きですか?

俺は好きです。

自分はいわゆる箱推しはしてなくて、動画勢を中心に嗜む程度に楽しんでおります(とはいえこういった消費態度のオタクが大半なのでは?自分の周りのオタクが揃って箱推し勢なのが異常だと信じたい。それとも世のvtuber好きたちは1日何時間も配信に釘付けなのが普通なのか?)。

とはいえ一人だけ、いる。配信はできる限りチェックし、ツイートは欠かさずいいねを押し、時にはなけなしの口座から少しの気持ちを投じては夜な夜なひとり満足しているvtuberが。

鈴鹿詩子さん、あなたです。

 

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彼女と出会ったのは去年、にじさんじ二期生がデビューして少し過ぎたあの暑い暑い初夏のことだった。

酷暑の中、壊れたエアコンを恨みつつ開け放たれた窓から入り込む蝉の合唱をBGMにデビュー当時のあなたの配信を聞いて、俺は感銘を受けたのだった。

「こんなのが許されるのかよ……」

確かにはじめは奇をてらった言動、企画に惹かれたのだった。でも彼女には溢れているのだ。どうしようもない、慈愛が(これこそ母性の正体)。愛に枯れた俺というひとりの現代人、気づけば彼女のことばは俺の精神にズブズブと浸透していった。

思うに、彼女はまったくもってウケを狙ってないところが素晴らしいんですよね。最初は自分がなんでこんなにウケてんだ?ってわかってなかったと思うんですよ。それが自分の持ち味だとわかってからも、それをうまくいかして立ち回ってる、そこには絶対彼女の人生経験の豊富さがあと思うんですよね。キャラ設定と魂のキャラのギャップというか、和音?それがもっともうまくいってるキャラの一人が詩子さんだと思います。

 

ブランキージェットシティが好きだと言えば、AmazonでCDを買っては毎日のように再生した。あなたが歌った歌はどんなライブ・キラーチューンよりも俺の心を躍らせる(わがままをいえば、丸の内サのような少し前のJ-POPをもっと歌ってほしいな。それが一番似合っているから)。あなたが勧めてくれたBL本は今でもFANZA(旧DMM)のライブラリに残ったままだ、消すに消せない。あなたに投げていたマシュマロは、自分の中の気持をいたずらに消費するだけだと気づいてから投げなくなりましたが。

俺は詩子さんのことを詩子さんと呼ぶようになった。

最初は、他のファンの人たちが彼女を詩子お姉さんと呼んでいることに対してマウントを取りたかった。

マウントをとりたかったんだよ!!!!!!!!!!!

他のオタクとは違う、俺だけが彼女を俺だけの呼び方で読んでいるんだ。それにしては割りと普通な呼び方だと思ったそこのあなた、中々鋭い。大事なのはそこにある情緒なんですよ、俺にとって詩子さんを詩子さんと呼ぶことが自然だったんですよ。他に理由なんて要らない。たぶんみんな詩子さんのことを詩子お姉さんと呼んでいるだろ?俺は違うんだよ。俺だけは。

 

いつしか、そう具体的には季節がひとまわりした頃、俺は思うようになった。

俺は、この女性(ひと)をずっと前から知っている気がする…………

もちろんそんなのは嘘だ。彼女はこの世界ではないべつの世界に住んでいて、彼女と逢えるのは画面を通してだけ。生きる世界が違うこんな私に あなたは優しくしてくれた(レインボーガール)

 

俺は思った。俺の中にある『遠い記憶の底にある憧れのひと』のイデアが詩子さんなのだと。わかるだろうか?あの、夏休みに祖父母の家に行ったときにしか会えない少し年の離れた親戚のお姉さん。いつも余裕のある微笑みをたたえていて、でもすこし抜けているところがあって、彼女の着ていた真っ白なワンピースはいまだって網膜の奥に焼き付いていて……………………(実在しません)

それが、俺にとっての詩子さんなんだよ!!!!!!

俺は罪深くも『憧れのひと』の様々な深い部分を知ってしまったんだよ!!!わかるか?この罪の重さが!!!もう引き下がれないんだよ、俺は!

中々配信がうまくいかない詩子さんも、ショタに欲情する詩子さんも、ぜんぶがぜんぶ俺の中の善なるイデアを補完する断片なんだよ!!!!参ったか??!!

 

 

 

最後に、さいごに俺が言えることはひとつだ。

 

詩子さん!!!!!!!!結婚してください!!!!!!!!

 


【自作オリジナル曲&MV】Will you marry me? / 鈴鹿詩子 (Utako Suzuka)【後方花嫁面】

 

 

そう言うと彼女は少し困ったように微笑みながら私の頭を小突くのだ。だが私ははじめからそうされるのが解っていたかのように大袈裟に痛がったりする。詩子さんは口許を押さえて笑っている。私はおどけてみせる。まるでひとつ前の言動を取り消すかのように。でも私の気持ちには嘘も偽りもなくて………………

だいぶ込み入った話になってきたのでちょっと早いですがここらで終わらせます。読んでくれてありがとう