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今まで見てないからスパイダーマン見れなーい

やっぱりこういうことを感じる人はいますよね。実際損した気分になってしまうのもあるのですが、大筋は単体で完全に楽しめます。

ただ、導入や世界観として抑えておくとスムーズに観られる事実はいくつかあるんじゃないかと。

 

しかし、週刊誌って、100%楽しめる人間はかなり少ないのにここまでポピュラーなのは、媒体の違いなんでしょうね。

僕は週刊誌とかも急に読み出して、(前後にこんなことがあったんだろうな…)って考えるのが楽しい人間です。あんまり僕の周りではいないけど、同じような人は逆に『ファー・フロム・ホーム』からでも行けると思います。僕も『ホームカミング』からでしたし。

 

マーベルの映画は娯楽を突き詰めた映画なので、情報量の多さがとにかく飛び抜けてて、単独で物語は完成させつつ、シリーズファン向けの描写もある。映画だと週刊誌みたいに読み飛ばすこともできないけど、まあそういうのはジャンプの『ワンピース』やって言ったら言い過ぎでしょうか?文脈がないから今だと『鬼滅の刃』くらいか。

とにかくそんな『ホームカミング』も金曜ロードショーでやりますよ、という要らぬ告知。

 

(さらにAmazonプライムでは過去のスパイダーマン全部見れます……見れるのです……)

 

以下、今までを見る気がある人には重大なネタバレがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アベンジャーズというヒーロー集団がいる

・フューリーという人は擬態できる宇宙人に出会い、そしてアベンジャーズを結成した

アベンジャーズの古参で大富豪ヒーロー、アイアンマンのトニー・スタークは戦いの中で亡くなった

・トニーはスパイダーマンであるピーターに一目置いていて、スーツも作ってくれた

・ハッピーという人はトニーの秘書だったのでピーターとも知り合い

・世界の半分の人間が五年間消えていて、ピーターや同じ部活の人たちもそうだった

 

これだけ押さえておけば「週刊誌」、観にいけます。

 

 

思えば遠くまで来たな、スパイダーマン

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『プロメア』は波に乗り遅れた感があるのでスピード重視で行こうと思います。『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』を観ました。

 

その前に実は、偶然、たまたま、『スパイダーマン1-3』、『アメイジングスパイダーマン1-2』も観ました。そろそろ原作にでも手を出そうか。

 

スパイダーマンの魅力は古今東西色んな人が分析していて、実際多岐に渡るし、だからこそ全世界で人気を得るに相応しいキャラクターでもあるけれど、ここでは二つの点に分けて説明をさせてもらう。

そして、願わくばまだスパイダーマンに触れていない人には是非触れて欲しいし、触れた人はあーだこーだと自身で考えたり語り出したりして欲しい。まだネタバレは無い。お前の話は後でいいという人はスクロール。

 

落ちる⇆落ちない、というウェブ・アクション。糸の可能性

 

我々は重力に引かれている。だから空翔る鳥に憧れるし、神々やスーパーヒーローはだいたい空を飛べる。飛ぶという行為自体が不可能性の象徴の一つといっても過言では無いだろう。

 

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これは個人的な話だが、「物が落ちる」ということには非常に安心感を覚える。万物が重力に負ける。私も負ける。そこには奇妙な連帯があるし、そして、物が落ちそうで落ちない時には、不思議な感動を覚えてしまうのである。「勝った!」と。

 

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で、色々な余地を残しつつ、スパイダーマンというのは基本的に飛べない。振り子のように糸を使って、落ちる!跳ぶ!落ちない!を繰り返して移動する。

もうこのアクションが理屈を超えて「感覚で」気持ちいい。だから飛べない人はみんなスパイダーマンが好きになると思います。

 

何より、そもそもスパイダーマンは「親愛なる隣人」というキャッチが付いているような親しみやすいヒーロー。自由自在に空を飛ぶでもなく、見ていてちょっと危なかっしくなってしまうウェブ・スイングの方が似合っているんです。

 

つくづくスパイダーマンの「糸」というのは画期的で、移動・攻撃・サポート・トラップと何でもござれ。

良いアクションゲームは一つのアクションに色んな意味が込められているもの、といつかあるブログで見たのですが(マリオの『ジャンプ』やスプラトゥーンの『塗る』など)詳しくはこちらをお読みください。やや本題から外れますが、とても面白い。

 

マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 枯れた知識の水平思考

最後にまとめよう。「スプラトゥーン」が面白そうに見える理由。それはアクションはシンプルなのに、アクションが起こす結果に幅があるからだ。それは、一つのアクションに複数の機能を込めるというマリオのジャンプに通じるゲームデザインによって発生する幅の広さである。もっと簡単に言ってしまえば、間口が広そうで、敷居は低そうなのに、奥行きは深く見えるようにきっちりデザインされているからである。

 

「糸」もそういうことです。ゲームも面白かった。

 

 

次。

 

・主眼はいつだってヒーローと人の間にある

 

インターネット技術の発達により(この書き出しが古すぎるのはさておき)、人は自分の人格が一つでないことに、人生で一度は気付くようになったんじゃないんでしょうか。

 

アカウントを複数作ったり、匿名だと言葉遣いが変わったり。そしてこれはずっとそうですが、ヒーローたちもみんな同じです。

スパイダーマンはずっとそこに向き合ってきたし、だからこそ海外でも人気があるし、普遍的です。むしろ、いつの時代にもよりポピュラーになる可能性を内蔵したヒーローであると言っても良い。

 

僕は子どもとヒーローの関係が凄く好きです。無垢で無謀な憧れがたまらなく愛おしいから、『スパイダーマン2』の火事現場とか、『アメイジング2』のラストだとか、無条件で愛してしまう。

でもそれは、ヒーローと普通の人を行き来する「スパイダーマン」だからこそ映える関係性なのです。マスクを被ることで強くなったりはしないけど、それはヒーローになるという責任への覚悟を意味する。そこに力の有無は関係なくて、ただ尊いんです。

 

ネタバレなし日記は終わり。

 

 

 

 

【ここからネタバレあり】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを書いておいてなんだけど、MCUでのスパイダーマンにはさして子どもとのシーンは無いです。おそらく意図的に過去の「スパイダーマン」映画でやったことは省いているからでしょうね。

 

しかし、個人的に大好きなヒーローが観れてしまった。それは、『嘘と向き合うヒーロー』である。

 

 

真実と虚構というワードが飛び交う時代である。もはや語るべくも無いが、ヒーローとは虚構そのものである。彼らは存在しないし、敵もいなければ超エネルギーも無い。そしてだからこそ、ヒーローは嘘に向き合っていかなければならない。

 

↑上記のこれはさておき、今回の映画でもやはりピーター・パーカーは「ヒーロー」と「高校生」の間に懊悩する。

初めてこの単語使った

 

アベンジャーズの古参メンバーで、世界を救ったトニー・スターク=アイアンマン。ヒーローでなくとも世界レベルの大富豪であり、天才科学者でもあるトニーの後継者という、最も「ヒーロー」として期待されるポジションにピーターは置かれている。

 

「エンドゲーム」後の世界ではヒーローが待望されているだろう。それについては映画でも言及されているし、不安が蔓延る世の中で英雄が求められるのは常である。

 

あやや砕けた喩えを出せば、「僕のヒーローアカデミア」のオールマイトとデクのような関係である。あちらはアメコミリスペクトなので、単純なオマージュだとかそういう話でもないけれど。

 

しかし他方で、ピーターは高校生である。夏休みに友人や気になる女の子、そして恋敵と海外旅行である。まさしく青春ど真ん中である。ピーターはこれまた、最も「高校生」であるポジションにいる。

 

訂正しよう。正確に言えばその一歩手前にいる。友人ネッドが横で謳歌している恋人との時間こそ、ピーターにとっては喉から手が出るほど欲しいものであろう。前作「ホーム・カミング」の一件を考えると、今度こそ、とこちらが応援したくなってしまうほどだ。

 

もちろん、そしてかわいそうなことに、簡単に両立させてしまうのは無理という話である。ピーターはこの板挟みに苦しむし、その過程で、トニーに想いを馳せたり異世界からのヒーロー・ミステリオに憧憬や羨望を覚えたりしてしまう。

 

両立に悩むとき、特別な理由が無ければ、より手が届きそうなものを選ぶものだ。ピーターは正義漢ではない。救世主というレベルの重圧のかかるポジションよりも、徐々に近づきつつあるMJの隣に座りたいという人間らしさに、やはり共感を禁じ得ない。

 

ここまでが、話の起・承といったところです。そしてピーターとスパイダーマンの二つの道は、奇しくも同じ「嘘」に打ちのめされる。転です。

 

MJの他愛もない嘘と、ミステリオというヒーローそのものの嘘。主軸はもちろん後者だけど、どちらの道も嘘が邪魔をする構図になっています。

 

ここでミステリオというヴィランを持ってきたのが見事。まあ嘘くさいやつだし原作だと幻惑が得意なヴィランらしいので、観客も半信半疑で観るかもしれない。

しかし「マルチバース」というこれからMCUが向かっていく方向を匂わせることで、安易に疑念十割には持っていかせないんですね。実際、プロジェクターが現れるまでは全てが嘘だとは思いませんでした。

 

ここで、一番この映画で感銘を受けた点を書いておきます。ミステリオの素晴らしさは、ピーターが「スパイダーマン」と「ピーター・パーカー」の狭間で揺れ、偽りでしかない「ヒーロー」を引き受けるという不相応な責任に躊躇していたのに対し、ミステリオは自らヒーローを引き受けた、というキャラ造形にあるのです。

 

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ピーターは盲目でした。好きな子を好くあまり、彼女が嘘を吐いているという可能性は考えられなかった。トニーがヒーローだと神聖化するあまり、彼もなりたい自分と現実のギャップに苦しんでいたなどとは考えなかった。

 

でもこれって、誰もが踏み外しかねないことですよね。究極的には他人のことはわからないから、自分で他人の像を作って、それを観て、アップデートしていくしかない。客観的真実なんてどこにもない。

 

この固定観念に対して、ミステリオの行動自体は皮肉にも沿っている。

複数の人間を束ねて、一つの大きな目的を達成する。誰もが不可能だと感じる「ヒーロー」という立場を自分から背負いに行く。つまり、ミステリオは抽象化してしまえば紛れも無いヒーローに違いないんです。

 

しかし、そんなわけはない。

 

ヒーロー、っていうのはあくまで人に根ざしていなければいけない。英雄になろうとした瞬間、英雄失格。

 

彼は、誰もが真実を求めてしまう時代なのを理解した上で、そして先ほど書いた通り「客観的真実なんてどこにもない」ことも理解した上で、自らの目的のために最強の嘘を操った。嘘っていうのは最強なんです。

 

 

マーベルの映画を見るたびに、どこまでCGでVFXなのか疑問に思うんですよ。技術がどんどん進歩して、昔のそれとは違い、どこか安心して見られない自分がいる。

 

仮面ライダーウルトラマンくらいの日本の特撮は、技術的にも予算的にも日程的にもそこまではやれない。だからバレバレのCGも一歩引いて見られるし、綺麗なCGが見られると単純に嬉しい。

だけど、マーベルははっきりいって異次元だ。観ていて不思議に思う。この映像は本当に起こっていないんだよな?ニュースになってないよな?普段はどこか馬鹿にしている報道番組を、こんな時は縋るように思い起こしてしまう。

 

今までマーベルが出してきた映画を体現するかのように、自由自在の拡張現実を操り、ピーターを揺さぶるミステリオ。このシーンは限りなくピーターと観客がシンクロしてしまうある種のクライマックスでした。

あの時間違いなく、僕が今まで感じていた不安が目の前で再現されていたのです。

「全部嘘だ」と。

エンドゲーム後にこんな映画を出してくるマーベルも意地が悪いけど、でもこれこそ事実でもある。ヒーローもラブロマンスも、そしてミステリオのパワーそのものが嘘。物語的にもメタ的にも、動かせない壁として立ちはだかる。

 

ミステリオの正体に序盤から気づこうとも、思いがけずネタバラシは早いんです。彼の嘘は「黒幕の正体」のような物語のフックではなく、ピーターと観客が対峙しなければならない「敵」そのものだからです。

あの炎の巨人が暴れまわるシーンで、フューリーの車のガラスに弾痕が現れる描写がありましたね。あそこで確信しましたが、早い人はもっと早くから気付くでしょう。

 

そして、彼は強い。「黒幕の正体」というのは明かされてしまえば終わる弱い嘘だけど、ミステリオは強い嘘を真正面からぶつけてくる。巧みに揺さぶられ続け、ついにスパイダーマンは戦闘力で勝る相手に完全敗北する。

 

自分の信じてきた像は崩され、その上魅せられる像に惑わされて敗北するピーター。でも彼はハッピーの言葉で漸く、トニーに理想像を抱いていたことを自覚する。

 

再び立ち上がり、スーツを作る姿がトニーにシンクロして、ハッピーがツェッペリンをかけるシーン、そして「ツェッペリンは最高!」とピーターが言うシーン……こればっかりはシリーズを追ってきた人へのご褒美のようだった……感情が揺さぶられる……

(と思って調べたらあの曲はAC/DCらしいです。ギャグシーンなんかい!感動を返してくれ!!)

 

意図的に書かなかったけど、敵のプロジェクトチームがトニーに恨みを持つ過去作の人物だったり、即席で盾を作るピーターの姿、でもハッピーはキャップにはなれなかったり、オマージュがすごかった。フェーズ3の最終作なのも納得でしたね。「その後」を描いて初めて終わり、と。

 

メイおばさんの「直感を信じなさい、そうすれば勝てるわ」という言葉を体現するのか、像には惑わされないという決意の表れか、ピーターは自身の感覚を信じることで見事にミステリオを打ち破る。嘘だらけの世の中でも、決して信じられるものが無いわけじゃない。

でも、最後のミステリオの言葉は間違いなくピーターが「信じたかったこと」なんじゃないでしょうか。信じたい、と心が叫んでいて、でも感覚がそれを許さない。

僕はこう解釈したけど、少しビターな幕引きが印象的。最後には手酷く裏切られるし、ミステリオもただでは転ばない。

 

さて、この世にも信じられるものはあるという証拠として、トニーとヒーローについてのモヤモヤを解消したピーターに残るのはMJの嘘。

「彼女、僕のこと好きかも!」という直感が結果的には正しかった。自分以外にも信じられるものはもちろんある。

こういうこともある、というささやかな救済でした。不慣れなキスも良い感じ。過去のスパイダーマン映画のキスって割とディープめな描写だったし……

ネッドの破局やハッピーとメイの話も続けることで、三重の「こういうこともある」でした。

 

そしてラスト。次への橋渡しがこれでもかと散りばめられていましたね。

当初の予想とは違って、スパイダーマンはこれからもマーベルに居てくれそうで続きが気になる。

 

あと、ヒーローと自分のギャップをある種乗り越えたであろうピーターが不可避的に「スパイダーマン」と「ピーター」を世間から一致させられるのは無駄がない展開でしたね。JJJが出てきたときは流れが読めたしいつも通りで笑っちゃったけど。

これ以上同じ問題を扱っても仕方ないし、かといって今作前のピーターではその重圧には耐えきれなかったでしょう。思えば『アイアンマン』のラストも同じでした。これからだよ、ピーター。

 

長々と書いてきましたが、実は映画の冒頭を見逃すという大ポカをやらかしているので、なんか変なことあっても見逃してください。あなたが見ているのはテキストという像でしかないのです。

『プロメア』のアツさとツメたさ

 グレンラガンっぽい、っていうかグレンラガンも10年以上前だからその主張は無意味ですね。プロメア観ました。

 

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 とはいえ、持ち前の知識は視聴経験だけなので続けさせてもらうと、このスタッフたちはひじょーに既視感があるわけです。

 

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ガロはやっぱり初見ではカミナだと思いますしね。脚本家もアニメーターも監督も同じとなると随所に…というレベルでなく、色んなことを思い起こさせてくれる2時間弱でした。

 

この(上記のグレンラガンを作った会社の後身である)トリガーというアニメ会社の初劇場オリジナルアニメということで、「名刺代わり」という表現が一番しっくり来る。

アニメ表現の形態を見たとき、誰がどう見ても「トリガーのアニメ」である、実に痛快な作品だったように思います。

 

こっから先はネタバレあり(といってもほとんど公開終了の時期ですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずオープニングが凄い。

ここの音響を担当した人が凄いと思う。「抑圧からの解放」という図式をこれから何度も使いたいんだけど、それを表現した効果音、劇伴だった。満員電車、渋滞、DV、満員電車渋滞DV、溜めて溜めて炎上!

 

満員電車の喧しい音や渋滞のクラクションの音は日本人にも馴染みがあるけど、パリのDVってどうやってイライラを表現するんだ?

と訝しんだところで鳴るあの鈍い打撃音。

これは本当に久しぶりにカンペキなSEだった。ATフィールドとかブッピガンみたいに単体で「すげえ!」ってなるSE最近あんまりアニメでは見ないけど、こういう職人芸観る(聴く)と嬉しくなる。

 

今作、映像表現と声優演技は即座に凄いって感想湧くけど、間違いなくそれをパッケージしてる音響表現も凄いです。

澤野さんの劇伴はもはや語る必要すらないほどだけど、使い方が良くて、全体を通して緩急に富んだ勢いのインフレ状態でしたね。映画館で観るべき作品ってこういうのを言うんじゃないかなぁ

 

物語自体は徹底して、抑圧からの解放であり支配からの卒業でした。ここにモチーフを加えてまとめるのが中島かずきのやり方なんでしょうか。そのモチーフの再解釈が上手だから、勢いがあっても基本的にオチでまとまるんだと思います。

 

 グレンラガンは「螺旋」というモチーフによって、命を繋ぐっていうことと、合体・ドリル!っていう映像表現を両立した。

キルラキルは「衣服」を人を支配するものとして最終的に持っていくことで、全員全裸エンディングという絵面を創り出した。それと同時にコスチュームが戦闘力を決めるので、ある種の魔法少女もののような表現形式にできたのかもしれない。

 

これらのモチーフは、物語上の意味と映像表現としての鍵を見事に両立させていて、これこそ監督の仕事なんじゃないかなという気がします。

 

微妙にずれるけど、脚本家が同じ『仮面ライダーフォーゼ』でも「宇宙」を友情と再解釈することで、最後にはまさに「支配からの卒業」キックで締めたんですね。

特撮はその構造上、通しての監督はいない(そういう役回りはプロデューサーと分有している)から、友情=宇宙みたいな表現をプロメアの炎のように執拗に描くことはできないんでしょう。

ある程度完結が近く表現が多彩なアニメの脚本を中島氏が担当しているのはこういうところにあったりと邪推。

 

話を戻すと、今回も「炎」をテーマに反存在として「氷」を置いた。これによって映像表現は確定的に凄いものになる。

こだわり抜いた幾何的なエフェクトによって、手書きがCGに寄せやすい画風か、あるいはその逆か。ともかくお互いが得意分野を補完しながら様々に魅せてくれる極上の映像体験でした。

 

そして物語も、「火消し」「炎人間」「冷凍兵器」をキーにしつつ、反存在と手を取り合うこと、支配からの卒業、そして惑星規模のインフレ、とこれだ〜〜〜〜〜っ!!という要素がてんこ盛り。

穿った見方をすればテンプレ、の四文字で片付けられてしまうけれど、2時間の映画のためには最善の形なのではないですかね。乗り換え、強化、裏切りなど「テンプレ」のイベントを間断なく配置するから2時間が早い早い。

 

人物像も、「熱いやつの冷静さ」「クールなやつのパッション」「理性的なやつの本能」と、作品テーマにも通ずる二面性を無駄なく描写することでギリギリ記号的にならないくらいのバランスで進めていましたね。

 

俳優の人たちも声が合うこと。早乙女太一のちょっとあどけない感じはリオに合ってたし、松山ケンイチはマジで気付かなかった。堺雅人上川隆也を思い出しました。グレンラガンのラスボスは上川さんが演じておられるのですが、叫ぶ迫力が独特の風味を出すのでベテランの舞台俳優は違いますねぇ。

でも通常時の堺雅人は吐息の量が多すぎてもう脳裏に堺雅人

 

まあ、姉妹関係のドラマとか、割と当て馬感漂うヒロインとかもそうですが、予想を覆す驚きの展開とかは特に無いしなくて良いのかも。一辺倒に見えて、そのバランスは結構厚く作ってある印象を受けました。

 

ヒロイン、というか、リオへの人工呼吸は「やるだろうな〜」と思ってたけどまさかあんなに尺を取るとは……終わってみると周りは八割女性客だったのもまあ無関係では無いでしょう。

キルラキルとかが(エロくは無いけど)下ネタ多かったのを考えると、ちょっと耽美に振ってますね。水玉コラは笑ったけど隣の弟は気付いてなさそうでしたし、あれもいい塩梅。

 

 

で、バーニッシュとはなんぞやと。

 

 

これ、終わってネットの感想見てるとマイノリティとして描かれてると感じた人が多かったみたいですね。確かにピザ屋のくだりとかはそう感じました。

で、最後バーニッシュもプロメアも消えて終わりだからそういう見方をするとどうも後味の悪さが残る。

 

でも、ここまで書いてきたように、非常にエンタメの配分に気を使っている作品なので、勢いとは裏腹に、もう一つ重いテーマを入れると娯楽性が瓦解しかねない。ピーキーでジェットコースター的なんですよね、プロメア。

 

名刺がわりの作品としては、今までやらなかったところに踏み込む、詰めるよりは

あくまで物語というレールの上を走るエンタメジェットコースターである方を選んだのではないでしょうか。

 

エンタメとしての厚さの中に若干の詰めたさが残る作品でしたね。これにて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、そんな。

 

バーニッシュがマイノリティだという解釈を持つのも自由だし、実際そういう意図もあったかもしれないけれど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっと熱くなれよ!!!!!!!!

年甲斐も無いHTML

 

 

皆さんこちらは気付きましたか?

 

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湖の底にあった研究所、マジンガーZの光子力研究所のオマージュっぽいんですよね。んでもって、水を割って巨人が飛ぶというのもまさにソレ。

 

マジンガーZの光子力ってやべーエネルギーで、クリーンで滅茶滅茶パワーがあるすごいやつなんです。批評家に言わせればたぶん戦後の原子力への想像力が生んだものなんだろうけど、今言いたいのはそれじゃない。

 

じゃあどういうことなのっていうと。

 

そもそも、名前がデウスエ(ッ)クスマキナということで、あの巨人は「事態を解決するための力」なんですね。そこは自虐的でもあるけど、でもやっぱり合体ロボットはやりたいから出した。

短い時間の中でデウス→リオデ→ガロデと形態変化を見せてくれて、クレイザーXとの対決は一つのクライマックスでした。

 

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↑こんなのもいるし。

 

で、もう少しだけ月並みな論法を使わせてもらうと、リオの暴走状態はゴジラのような「怪獣」そのもの。それを制御して=プロメアの力を味方につけて始めて、リオデガロンは力を発揮できるのです。

 

このエネルギーの使い方という視点は科学の色んなソレを持ち込む手法で、様々な特撮アニメで用いられてきました。仮面ライダーは初代からそうだし、ロボットアニメでも光子力、ゲッター線、GN粒子…すごいことを成し遂げてしまうエネルギーという概念は昔に発明されて今も細々と使われています。もちろん、グレンラガンの「螺旋力」もそうですね。

 

結論を言うと、僕はバーニッシュをあんまりマイノリティだとは感じてないんですよ。だって30年前に発生したわけだし、しかも人間を超えた能力があってそれゆえ恐れられてる。

むしろ「ニュータイプ」のようなものなんじゃないのか?次元を越えて感覚を繋げる、というのはとても近い感じがしますね。

 

ただ、バーニッシュは「抑圧からの解放」を望むような存在として登場するわけですが、ここにカラクリがある。実はバーニッシュの燃やしたい衝動自体が、別次元の炎生命体プロメアの叫びだったわけです。「バーニッシュの誇り」として自分で決めたと思っていたことが、実はそうではなかった。

 

だから、リオの本当の成長とは、真の「支配からの卒業」とは、それを自覚して改めてその力を自分の意思で扱うことに違いない。

ガロは良い意味でも悪い意味でも「火消し」を外れないので、「火を消すためにプロメアを燃やす」というアイロニーに結実したリオデガロン=ガロデリオンこそが、この作品の象徴なんです。

 

この映画のタイトルはなんですか?そう、『プロメア』です。

 

プロメアのせいでバーニッシュが生まれ、

バーニッシュのせいでクレイは歪み、

クレイの暴走が地球のプロメアを刺激し、

地球破滅の危機に陥っていた。

そしてそれを止めたのはプロメアの声を聞いたバーニッシュのリオと火消しのガロだった。これがこの映画の全てなんです。

 

だから、マイノリティも何もなくて(そう思わせる構図があることは認める)プロメアという凄いエネルギーが生んだ歪みをプロメアの力で正しただけ。

最後にプロメアもバーニッシュも消えるのは、完全燃焼する炎の力であるプロメアだからだし、それは後始末として当然の帰結です。

 

そして気づいて欲しいのは、といってもここからは完全に自己満足の領域です。恥ずかしいものを見たくなかったら飛ばして欲しい。

 

ずいぶん長くなったこの駄文の最初の方で、物語を「炎」というモチーフでまとめていると書きました。中島かずき氏はモチーフへの再解釈があるからまとまるんだと。

 

この話のオチは「火は完全燃焼しようぜ!!!」です。正確にいうと、「プロメアの完全燃焼」です。あくまでこの作品のメッセージを「エネルギーは神にも悪魔にもなる。完全燃焼してこそ意味がある」と恣意的に捉えてしまうならば。

 

作品を見た後のエネルギーって今も僕たちの中にある。でもそれについてグダグダ言うのって不完全燃焼でしかない。「炎上」って始まりは正しくてもだいたい間違っていくのが常です。プロメアの冒頭で、最初に燃えていたのは何でしたか?満員電車渋滞DV、そのフラストレーション。僕たちの日常の中に火種はあって、そして。この作品でのバーニッシュへの扱いに不満を持ったならもうそれがその人のプロメアなんです。(ここが一番恥ずかしい)

 

そのエネルギーを持てるのは決して全員ではないのだから、しっかりそれと向き合って完全燃焼させられたら良いんじゃないでしょうか。

ていうか、完全燃焼したい。バーニッシュになりたい。俺もバーニッシュになってフェティッシュな服装をしたい。twitterで漫画を描かれたいし、イケメンに声をあてて欲しい。人工呼吸をしたいし、人工呼吸をされたいよ、おれは。

 

それが流儀だ。

王の誕生を祝う

 

ついにグランドジオウが誕生しました。そうです、仮面ライダーの話です。

 

10周年ではディケイドという仮面ライダーがいたんです。ヒーローの全員集合ものに「リ・イマジネーション」という概念を引っさげることで、10周年という年月に対して二次創作というか再解釈というか……とにかく極限に「虚構」で回答をしてきたわけです。

 

これはやっぱり良くも悪くも画期的なことだった。シリーズ物の記念作としてその年月へアンサーするなら、やっぱり「本物」であるべきじゃないですか。ファンへの感謝、時間の重みの再確認。ウルトラマンメビウスゴーカイジャーはよく比べられますが、まあそういう良さがあるわけです。

 

しかしディケイドはどーにもひねくれていて(そこに実は平成仮面ライダーイズムがあるのでややこしいんですが)そう単純にしなかった。

 

偽物だらけの世界を旅する偽物の仮面ライダーディケイド。彼が立ち向かうのは自分が全てを破壊するという運命そのものなわけです。自身の運命に抗う、というのはそれこそ平成初期のライダーに流れていた理念なのですが、ディケイドはシリーズの「後継者」ではなく「破壊者」として対置された。抗う対象が10年間の「本物」だったのです。こうして書いてみるとやっぱりかわいそうにすら感じる……

 

ディケイドはどこにも「本物」を持てず、唯一持てたのは世界を旅するということだけ。生きること、戦うことを続けていくことを決意して次の10年間を旅しに行った。

 

そこから10作品。

 

ディケイドはちょくちょく顔を出しに来て、その生き様こそ彼がライダーである所以だということをまざまざと見せつけてくるわけですが、現在はもう一つの記念作、ジオウが放映されていて。

 

これは平成ライダーが平成最後にかけて打ち出した「本物」なのです。

 

段階的にオリジナルキャスト、BGM、変身、ストーリーが解禁されていき、その展開がジオウが王となる物語とシンクロする。制作の都合が垣間見得つつも、そこには10作品前には無かった本物が氾濫しているわけです。

 

そして段階的な解禁というのも実情を反映しており、平成後期のライダーはどんどん本物の価値が上がってきた軌跡そのもの。一度ディケイドで偽物へ振り切ったからこそ、否が応でも感じてしまう本物の価値と、それに抗ったディケイドたち偽物の尊さ。それが爆発したのが平成ジェネレーションズだった。久しく出ていなかった本物たちがついに平成ライダーへ凱旋する、その感慨を映画として打ち出すまでとなったのです。

 

ジオウの最強形態グランドジオウの能力は、身体のレリーフをタッチすることで、対応する仮面ライダーの過去の場面を自在に再生できるというもの。過去のライダーキックを一斉に呼び出して総攻撃するのも、武器だけを呼び出して自分で使うのも思うがまま。まさにジオウが「魔王」と呼ばれる証左ともいうべき強大な力。エグゼイドにムテキが出た時と同じような、乾いた笑いがこぼれてしまう。いや、強すぎだろ

 

ジオウはディケイドと対照的に、本物を引っさげてきた。ディケイドが年月と対峙したのなら、ジオウは年月を従えて戦う。そして戦う相手は自分自身で、それこそ運命に抗うというプロットなのですが、これ以上はまだ未来の話。

 

本物の奔流を敵にぶつけ、蹂躙するグランドジオウの誕生は、ディケイドという中継地点を抱える平成ライダーの終わりに相応しいものだ。実際に20作をリアルタイムでは観ていない僕でも、その感慨はひとしおである。これはアベンジャーズ最終作だったり、タロウの息子だったりとはまた別の、ライダーにしかない重みに違いない。感謝。

【緊急】タピオカミルクティーのアイス(2019/6/25追記)

タピオカミルクティー、あるじゃないですか 


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流行ってるよね~~~~、タピオカミルクティー(実はもう流行ってなかったら、悲しいな)。

俺みたいな陰のキャの大の学の生には縁の無い飲み物なんすけど、まあ何かの間違いで飲んだりすると、普通に美味いよね~~~~😂

 

今回の本題はタピオカミルクティーそのものじゃなくて、タピオカミルクティーのアイスなんですけど

タピオカミルクティーのアイス、あるじゃないですか

無い???

あるんですよ


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ほら

http://www.conveniice.com/archives/38352.html

アイスマン福留さんもあると言っています。

で、このアイスがめちゃくちゃに美味い。

あまあまのミルクティーをそのままデロデロに凍らせたかのようなかって~棒アイス、(感覚としてはセブンのまるでマンゴーのやつに近い)にカチカチのタピオカが入ってるんですけど、このグニャっとしたアイスを噛み砕いてるとグニっとしたタピオカが出現する過程の脳内麻薬がヤバイ(説明かクソへたなんですけど、めちゃくちゃ美味いんです!!!!)

俺は気に入った食べ物を繰り返し買い続ける癖があるんですが、これに関してはなんかもう無いと不安になるレベルで食い続けてた。たぶん喫煙者と同じ感覚。こんなにハマった食べ物はつぶグミ(グミ界の覇者)以来かもしれない。

絶頂期にはバイト前に食ってバイトの休憩時間に食ってバイト後に食ってた。

でも先週の火曜からこのアイス食えてないんですよ、そろそろストレスで気が狂うから、気を付けた方がいい。

なんで食えてないかというと、このアイス、バイトの休憩室にある謎のコンビニにしか置いてないんすよ。謎のコンビニのアイスの棚の隅っこで霜被ってる在庫、全部俺が食べちゃったんすよ。

住んでるアパートから大学周辺、バイト先までに通るコンビニをできる限り捜索してるんですが、未だに見つからない。

ということで、梅田周辺でこのアイスを見かけたら俺に通報してください!!!!!!妹が危篤なんです!!!!!!(2009年のVIP)

 

大阪じゃないとこでこのアイス見つけた人は俺にクール便で送ってください

ちなみに俺の部屋には冷凍庫がありません

以上です

 

2019/6/25(火)追記

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梅田の某所アズナス内にて発見

ただ見つけても買わないでくれ、俺が食うから(わがまま)