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備忘録β 血液型占いって、実は正しいんじゃないか?

こんにちは。皆さん、血液型占いや、血液型に基づいた性格診断って信じてますか?俺は信じてません。

人の運命や性格と血液型になんの関連性もないし、そもそも人の人格って四種類に分けられるほど単純じゃない。誰にでも当てはまることをそれっぽくいってるだけだろ。

この指摘はもっともだし、俺もその通りだと思うが、それにしても、だ。

それにしても、血液型が話題になること多すぎない?そして、そこそこ当たってるような気がしてこない?

↑これ。

飲み会の中盤で血液型の話題になるたび「人の運命や性格と血液型になんの関連性もないし、そもそも人の人格って四種類に分けられるほど単純じゃないですよね?誰にでも当てはまることをそれっぽくいってるだけですよ」とドヤ顔で言ってはマジで白けさせてる奴ら。もうそういうのはやめにしよう。逆張りオタクは孤独に死に至るのみ。

思えば物心ついて以来そこそこの頻度で血液型は話題になってきた。

友達との話や、テレビの占いや、なんか本とかで。それで俺たちはそれぞれの血液型の性格に対するなんとなくの感じを知るようになった。A型なら几帳面、B型はガサツ、AB型は芸術家肌………みたいな。

血液型占いとかマジで興味ないけど………?みたいな奴ですら上のイメージは共有していると思う、信じるにせよ信じないにせよ。

で、その結果無意識的に俺たちは「合わせてきた」んじゃないか?そういった血液型の性格診断が提示する人間像をテンプレートとしてそれに当てはまるように。血液型の性格診断があたかも権威的に立ちはだかっているせいで、例えば「お前は几帳面だ」という同調圧力があった結果そこに合わせてるように人格が変容したのではないか。だって、俺はAB型だが、芸術家肌と言われて悪い気分はしないし。

血液型占いごときにそんな強制力はない、という意見はもっともだが逆に「お前はこういう性格だ」と権威的に提示してくる存在は他にあったか?とくにそれが学生時代のような人格形成段階に現れた場合、無意識下でそこに合わせていくような傾向があったんじゃないか?

血液型占いが先行して存在していたならば、血液型占いは正しくならざるを得ない。

そう考えると、はじめに血液型占いというものを産み出した奴はマジで罪深いな。下手したら何百万人もの人格を歪めたことになるんだから。

こわ。