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思えば遠くまで来たな、スパイダーマン

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『プロメア』は波に乗り遅れた感があるのでスピード重視で行こうと思います。『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』を観ました。

 

その前に実は、偶然、たまたま、『スパイダーマン1-3』、『アメイジングスパイダーマン1-2』も観ました。そろそろ原作にでも手を出そうか。

 

スパイダーマンの魅力は古今東西色んな人が分析していて、実際多岐に渡るし、だからこそ全世界で人気を得るに相応しいキャラクターでもあるけれど、ここでは二つの点に分けて説明をさせてもらう。

そして、願わくばまだスパイダーマンに触れていない人には是非触れて欲しいし、触れた人はあーだこーだと自身で考えたり語り出したりして欲しい。まだネタバレは無い。お前の話は後でいいという人はスクロール。

 

落ちる⇆落ちない、というウェブ・アクション。糸の可能性

 

我々は重力に引かれている。だから空翔る鳥に憧れるし、神々やスーパーヒーローはだいたい空を飛べる。飛ぶという行為自体が不可能性の象徴の一つといっても過言では無いだろう。

 

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これは個人的な話だが、「物が落ちる」ということには非常に安心感を覚える。万物が重力に負ける。私も負ける。そこには奇妙な連帯があるし、そして、物が落ちそうで落ちない時には、不思議な感動を覚えてしまうのである。「勝った!」と。

 

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で、色々な余地を残しつつ、スパイダーマンというのは基本的に飛べない。振り子のように糸を使って、落ちる!跳ぶ!落ちない!を繰り返して移動する。

もうこのアクションが理屈を超えて「感覚で」気持ちいい。だから飛べない人はみんなスパイダーマンが好きになると思います。

 

何より、そもそもスパイダーマンは「親愛なる隣人」というキャッチが付いているような親しみやすいヒーロー。自由自在に空を飛ぶでもなく、見ていてちょっと危なかっしくなってしまうウェブ・スイングの方が似合っているんです。

 

つくづくスパイダーマンの「糸」というのは画期的で、移動・攻撃・サポート・トラップと何でもござれ。

良いアクションゲームは一つのアクションに色んな意味が込められているもの、といつかあるブログで見たのですが(マリオの『ジャンプ』やスプラトゥーンの『塗る』など)詳しくはこちらをお読みください。やや本題から外れますが、とても面白い。

 

マリオのジャンプはなぜ優れているのか?そしてスプラトゥーンはなぜ「面白そう」なのか? - 枯れた知識の水平思考

最後にまとめよう。「スプラトゥーン」が面白そうに見える理由。それはアクションはシンプルなのに、アクションが起こす結果に幅があるからだ。それは、一つのアクションに複数の機能を込めるというマリオのジャンプに通じるゲームデザインによって発生する幅の広さである。もっと簡単に言ってしまえば、間口が広そうで、敷居は低そうなのに、奥行きは深く見えるようにきっちりデザインされているからである。

 

「糸」もそういうことです。ゲームも面白かった。

 

 

次。

 

・主眼はいつだってヒーローと人の間にある

 

インターネット技術の発達により(この書き出しが古すぎるのはさておき)、人は自分の人格が一つでないことに、人生で一度は気付くようになったんじゃないんでしょうか。

 

アカウントを複数作ったり、匿名だと言葉遣いが変わったり。そしてこれはずっとそうですが、ヒーローたちもみんな同じです。

スパイダーマンはずっとそこに向き合ってきたし、だからこそ海外でも人気があるし、普遍的です。むしろ、いつの時代にもよりポピュラーになる可能性を内蔵したヒーローであると言っても良い。

 

僕は子どもとヒーローの関係が凄く好きです。無垢で無謀な憧れがたまらなく愛おしいから、『スパイダーマン2』の火事現場とか、『アメイジング2』のラストだとか、無条件で愛してしまう。

でもそれは、ヒーローと普通の人を行き来する「スパイダーマン」だからこそ映える関係性なのです。マスクを被ることで強くなったりはしないけど、それはヒーローになるという責任への覚悟を意味する。そこに力の有無は関係なくて、ただ尊いんです。

 

ネタバレなし日記は終わり。

 

 

 

 

【ここからネタバレあり】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを書いておいてなんだけど、MCUでのスパイダーマンにはさして子どもとのシーンは無いです。おそらく意図的に過去の「スパイダーマン」映画でやったことは省いているからでしょうね。

 

しかし、個人的に大好きなヒーローが観れてしまった。それは、『嘘と向き合うヒーロー』である。

 

 

真実と虚構というワードが飛び交う時代である。もはや語るべくも無いが、ヒーローとは虚構そのものである。彼らは存在しないし、敵もいなければ超エネルギーも無い。そしてだからこそ、ヒーローは嘘に向き合っていかなければならない。

 

↑上記のこれはさておき、今回の映画でもやはりピーター・パーカーは「ヒーロー」と「高校生」の間に懊悩する。

初めてこの単語使った

 

アベンジャーズの古参メンバーで、世界を救ったトニー・スターク=アイアンマン。ヒーローでなくとも世界レベルの大富豪であり、天才科学者でもあるトニーの後継者という、最も「ヒーロー」として期待されるポジションにピーターは置かれている。

 

「エンドゲーム」後の世界ではヒーローが待望されているだろう。それについては映画でも言及されているし、不安が蔓延る世の中で英雄が求められるのは常である。

 

あやや砕けた喩えを出せば、「僕のヒーローアカデミア」のオールマイトとデクのような関係である。あちらはアメコミリスペクトなので、単純なオマージュだとかそういう話でもないけれど。

 

しかし他方で、ピーターは高校生である。夏休みに友人や気になる女の子、そして恋敵と海外旅行である。まさしく青春ど真ん中である。ピーターはこれまた、最も「高校生」であるポジションにいる。

 

訂正しよう。正確に言えばその一歩手前にいる。友人ネッドが横で謳歌している恋人との時間こそ、ピーターにとっては喉から手が出るほど欲しいものであろう。前作「ホーム・カミング」の一件を考えると、今度こそ、とこちらが応援したくなってしまうほどだ。

 

もちろん、そしてかわいそうなことに、簡単に両立させてしまうのは無理という話である。ピーターはこの板挟みに苦しむし、その過程で、トニーに想いを馳せたり異世界からのヒーロー・ミステリオに憧憬や羨望を覚えたりしてしまう。

 

両立に悩むとき、特別な理由が無ければ、より手が届きそうなものを選ぶものだ。ピーターは正義漢ではない。救世主というレベルの重圧のかかるポジションよりも、徐々に近づきつつあるMJの隣に座りたいという人間らしさに、やはり共感を禁じ得ない。

 

ここまでが、話の起・承といったところです。そしてピーターとスパイダーマンの二つの道は、奇しくも同じ「嘘」に打ちのめされる。転です。

 

MJの他愛もない嘘と、ミステリオというヒーローそのものの嘘。主軸はもちろん後者だけど、どちらの道も嘘が邪魔をする構図になっています。

 

ここでミステリオというヴィランを持ってきたのが見事。まあ嘘くさいやつだし原作だと幻惑が得意なヴィランらしいので、観客も半信半疑で観るかもしれない。

しかし「マルチバース」というこれからMCUが向かっていく方向を匂わせることで、安易に疑念十割には持っていかせないんですね。実際、プロジェクターが現れるまでは全てが嘘だとは思いませんでした。

 

ここで、一番この映画で感銘を受けた点を書いておきます。ミステリオの素晴らしさは、ピーターが「スパイダーマン」と「ピーター・パーカー」の狭間で揺れ、偽りでしかない「ヒーロー」を引き受けるという不相応な責任に躊躇していたのに対し、ミステリオは自らヒーローを引き受けた、というキャラ造形にあるのです。

 

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ピーターは盲目でした。好きな子を好くあまり、彼女が嘘を吐いているという可能性は考えられなかった。トニーがヒーローだと神聖化するあまり、彼もなりたい自分と現実のギャップに苦しんでいたなどとは考えなかった。

 

でもこれって、誰もが踏み外しかねないことですよね。究極的には他人のことはわからないから、自分で他人の像を作って、それを観て、アップデートしていくしかない。客観的真実なんてどこにもない。

 

この固定観念に対して、ミステリオの行動自体は皮肉にも沿っている。

複数の人間を束ねて、一つの大きな目的を達成する。誰もが不可能だと感じる「ヒーロー」という立場を自分から背負いに行く。つまり、ミステリオは抽象化してしまえば紛れも無いヒーローに違いないんです。

 

しかし、そんなわけはない。

 

ヒーロー、っていうのはあくまで人に根ざしていなければいけない。英雄になろうとした瞬間、英雄失格。

 

彼は、誰もが真実を求めてしまう時代なのを理解した上で、そして先ほど書いた通り「客観的真実なんてどこにもない」ことも理解した上で、自らの目的のために最強の嘘を操った。嘘っていうのは最強なんです。

 

 

マーベルの映画を見るたびに、どこまでCGでVFXなのか疑問に思うんですよ。技術がどんどん進歩して、昔のそれとは違い、どこか安心して見られない自分がいる。

 

仮面ライダーウルトラマンくらいの日本の特撮は、技術的にも予算的にも日程的にもそこまではやれない。だからバレバレのCGも一歩引いて見られるし、綺麗なCGが見られると単純に嬉しい。

だけど、マーベルははっきりいって異次元だ。観ていて不思議に思う。この映像は本当に起こっていないんだよな?ニュースになってないよな?普段はどこか馬鹿にしている報道番組を、こんな時は縋るように思い起こしてしまう。

 

今までマーベルが出してきた映画を体現するかのように、自由自在の拡張現実を操り、ピーターを揺さぶるミステリオ。このシーンは限りなくピーターと観客がシンクロしてしまうある種のクライマックスでした。

あの時間違いなく、僕が今まで感じていた不安が目の前で再現されていたのです。

「全部嘘だ」と。

エンドゲーム後にこんな映画を出してくるマーベルも意地が悪いけど、でもこれこそ事実でもある。ヒーローもラブロマンスも、そしてミステリオのパワーそのものが嘘。物語的にもメタ的にも、動かせない壁として立ちはだかる。

 

ミステリオの正体に序盤から気づこうとも、思いがけずネタバラシは早いんです。彼の嘘は「黒幕の正体」のような物語のフックではなく、ピーターと観客が対峙しなければならない「敵」そのものだからです。

あの炎の巨人が暴れまわるシーンで、フューリーの車のガラスに弾痕が現れる描写がありましたね。あそこで確信しましたが、早い人はもっと早くから気付くでしょう。

 

そして、彼は強い。「黒幕の正体」というのは明かされてしまえば終わる弱い嘘だけど、ミステリオは強い嘘を真正面からぶつけてくる。巧みに揺さぶられ続け、ついにスパイダーマンは戦闘力で勝る相手に完全敗北する。

 

自分の信じてきた像は崩され、その上魅せられる像に惑わされて敗北するピーター。でも彼はハッピーの言葉で漸く、トニーに理想像を抱いていたことを自覚する。

 

再び立ち上がり、スーツを作る姿がトニーにシンクロして、ハッピーがツェッペリンをかけるシーン、そして「ツェッペリンは最高!」とピーターが言うシーン……こればっかりはシリーズを追ってきた人へのご褒美のようだった……感情が揺さぶられる……

(と思って調べたらあの曲はAC/DCらしいです。ギャグシーンなんかい!感動を返してくれ!!)

 

意図的に書かなかったけど、敵のプロジェクトチームがトニーに恨みを持つ過去作の人物だったり、即席で盾を作るピーターの姿、でもハッピーはキャップにはなれなかったり、オマージュがすごかった。フェーズ3の最終作なのも納得でしたね。「その後」を描いて初めて終わり、と。

 

メイおばさんの「直感を信じなさい、そうすれば勝てるわ」という言葉を体現するのか、像には惑わされないという決意の表れか、ピーターは自身の感覚を信じることで見事にミステリオを打ち破る。嘘だらけの世の中でも、決して信じられるものが無いわけじゃない。

でも、最後のミステリオの言葉は間違いなくピーターが「信じたかったこと」なんじゃないでしょうか。信じたい、と心が叫んでいて、でも感覚がそれを許さない。

僕はこう解釈したけど、少しビターな幕引きが印象的。最後には手酷く裏切られるし、ミステリオもただでは転ばない。

 

さて、この世にも信じられるものはあるという証拠として、トニーとヒーローについてのモヤモヤを解消したピーターに残るのはMJの嘘。

「彼女、僕のこと好きかも!」という直感が結果的には正しかった。自分以外にも信じられるものはもちろんある。

こういうこともある、というささやかな救済でした。不慣れなキスも良い感じ。過去のスパイダーマン映画のキスって割とディープめな描写だったし……

ネッドの破局やハッピーとメイの話も続けることで、三重の「こういうこともある」でした。

 

そしてラスト。次への橋渡しがこれでもかと散りばめられていましたね。

当初の予想とは違って、スパイダーマンはこれからもマーベルに居てくれそうで続きが気になる。

 

あと、ヒーローと自分のギャップをある種乗り越えたであろうピーターが不可避的に「スパイダーマン」と「ピーター」を世間から一致させられるのは無駄がない展開でしたね。JJJが出てきたときは流れが読めたしいつも通りで笑っちゃったけど。

これ以上同じ問題を扱っても仕方ないし、かといって今作前のピーターではその重圧には耐えきれなかったでしょう。思えば『アイアンマン』のラストも同じでした。これからだよ、ピーター。

 

長々と書いてきましたが、実は映画の冒頭を見逃すという大ポカをやらかしているので、なんか変なことあっても見逃してください。あなたが見ているのはテキストという像でしかないのです。