『プロメア』のアツさとツメたさ
グレンラガンっぽい、っていうかグレンラガンも10年以上前だからその主張は無意味ですね。プロメア観ました。
とはいえ、持ち前の知識は視聴経験だけなので続けさせてもらうと、このスタッフたちはひじょーに既視感があるわけです。
ガロはやっぱり初見ではカミナだと思いますしね。脚本家もアニメーターも監督も同じとなると随所に…というレベルでなく、色んなことを思い起こさせてくれる2時間弱でした。
この(上記のグレンラガンを作った会社の後身である)トリガーというアニメ会社の初劇場オリジナルアニメということで、「名刺代わり」という表現が一番しっくり来る。
アニメ表現の形態を見たとき、誰がどう見ても「トリガーのアニメ」である、実に痛快な作品だったように思います。
こっから先はネタバレあり(といってもほとんど公開終了の時期ですが)
まずオープニングが凄い。
ここの音響を担当した人が凄いと思う。「抑圧からの解放」という図式をこれから何度も使いたいんだけど、それを表現した効果音、劇伴だった。満員電車、渋滞、DV、満員電車渋滞DV、溜めて溜めて炎上!
満員電車の喧しい音や渋滞のクラクションの音は日本人にも馴染みがあるけど、パリのDVってどうやってイライラを表現するんだ?
と訝しんだところで鳴るあの鈍い打撃音。
これは本当に久しぶりにカンペキなSEだった。ATフィールドとかブッピガンみたいに単体で「すげえ!」ってなるSE最近あんまりアニメでは見ないけど、こういう職人芸観る(聴く)と嬉しくなる。
今作、映像表現と声優演技は即座に凄いって感想湧くけど、間違いなくそれをパッケージしてる音響表現も凄いです。
澤野さんの劇伴はもはや語る必要すらないほどだけど、使い方が良くて、全体を通して緩急に富んだ勢いのインフレ状態でしたね。映画館で観るべき作品ってこういうのを言うんじゃないかなぁ
物語自体は徹底して、抑圧からの解放であり支配からの卒業でした。ここにモチーフを加えてまとめるのが中島かずきのやり方なんでしょうか。そのモチーフの再解釈が上手だから、勢いがあっても基本的にオチでまとまるんだと思います。
グレンラガンは「螺旋」というモチーフによって、命を繋ぐっていうことと、合体・ドリル!っていう映像表現を両立した。
キルラキルは「衣服」を人を支配するものとして最終的に持っていくことで、全員全裸エンディングという絵面を創り出した。それと同時にコスチュームが戦闘力を決めるので、ある種の魔法少女もののような表現形式にできたのかもしれない。
これらのモチーフは、物語上の意味と映像表現としての鍵を見事に両立させていて、これこそ監督の仕事なんじゃないかなという気がします。
微妙にずれるけど、脚本家が同じ『仮面ライダーフォーゼ』でも「宇宙」を友情と再解釈することで、最後にはまさに「支配からの卒業」キックで締めたんですね。
特撮はその構造上、通しての監督はいない(そういう役回りはプロデューサーと分有している)から、友情=宇宙みたいな表現をプロメアの炎のように執拗に描くことはできないんでしょう。
ある程度完結が近く表現が多彩なアニメの脚本を中島氏が担当しているのはこういうところにあったりと邪推。
話を戻すと、今回も「炎」をテーマに反存在として「氷」を置いた。これによって映像表現は確定的に凄いものになる。
こだわり抜いた幾何的なエフェクトによって、手書きがCGに寄せやすい画風か、あるいはその逆か。ともかくお互いが得意分野を補完しながら様々に魅せてくれる極上の映像体験でした。
そして物語も、「火消し」「炎人間」「冷凍兵器」をキーにしつつ、反存在と手を取り合うこと、支配からの卒業、そして惑星規模のインフレ、とこれだ〜〜〜〜〜っ!!という要素がてんこ盛り。
穿った見方をすればテンプレ、の四文字で片付けられてしまうけれど、2時間の映画のためには最善の形なのではないですかね。乗り換え、強化、裏切りなど「テンプレ」のイベントを間断なく配置するから2時間が早い早い。
人物像も、「熱いやつの冷静さ」「クールなやつのパッション」「理性的なやつの本能」と、作品テーマにも通ずる二面性を無駄なく描写することでギリギリ記号的にならないくらいのバランスで進めていましたね。
俳優の人たちも声が合うこと。早乙女太一のちょっとあどけない感じはリオに合ってたし、松山ケンイチはマジで気付かなかった。堺雅人は上川隆也を思い出しました。グレンラガンのラスボスは上川さんが演じておられるのですが、叫ぶ迫力が独特の風味を出すのでベテランの舞台俳優は違いますねぇ。
まあ、姉妹関係のドラマとか、割と当て馬感漂うヒロインとかもそうですが、予想を覆す驚きの展開とかは特に無いしなくて良いのかも。一辺倒に見えて、そのバランスは結構厚く作ってある印象を受けました。
ヒロイン、というか、リオへの人工呼吸は「やるだろうな〜」と思ってたけどまさかあんなに尺を取るとは……終わってみると周りは八割女性客だったのもまあ無関係では無いでしょう。
キルラキルとかが(エロくは無いけど)下ネタ多かったのを考えると、ちょっと耽美に振ってますね。水玉コラは笑ったけど隣の弟は気付いてなさそうでしたし、あれもいい塩梅。
で、バーニッシュとはなんぞやと。
これ、終わってネットの感想見てるとマイノリティとして描かれてると感じた人が多かったみたいですね。確かにピザ屋のくだりとかはそう感じました。
で、最後バーニッシュもプロメアも消えて終わりだからそういう見方をするとどうも後味の悪さが残る。
でも、ここまで書いてきたように、非常にエンタメの配分に気を使っている作品なので、勢いとは裏腹に、もう一つ重いテーマを入れると娯楽性が瓦解しかねない。ピーキーでジェットコースター的なんですよね、プロメア。
名刺がわりの作品としては、今までやらなかったところに踏み込む、詰めるよりは
あくまで物語というレールの上を走るエンタメジェットコースターである方を選んだのではないでしょうか。
エンタメとしての厚さの中に若干の詰めたさが残る作品でしたね。これにて。
いや、そんな。
バーニッシュがマイノリティだという解釈を持つのも自由だし、実際そういう意図もあったかもしれないけれど……
もっと熱くなれよ!!!!!!!!
年甲斐も無いHTML
皆さんこちらは気付きましたか?
湖の底にあった研究所、マジンガーZの光子力研究所のオマージュっぽいんですよね。んでもって、水を割って巨人が飛ぶというのもまさにソレ。
マジンガーZの光子力ってやべーエネルギーで、クリーンで滅茶滅茶パワーがあるすごいやつなんです。批評家に言わせればたぶん戦後の原子力への想像力が生んだものなんだろうけど、今言いたいのはそれじゃない。
じゃあどういうことなのっていうと。
そもそも、名前がデウスエ(ッ)クスマキナということで、あの巨人は「事態を解決するための力」なんですね。そこは自虐的でもあるけど、でもやっぱり合体ロボットはやりたいから出した。
短い時間の中でデウス→リオデ→ガロデと形態変化を見せてくれて、クレイザーXとの対決は一つのクライマックスでした。
↑こんなのもいるし。
で、もう少しだけ月並みな論法を使わせてもらうと、リオの暴走状態はゴジラのような「怪獣」そのもの。それを制御して=プロメアの力を味方につけて始めて、リオデガロンは力を発揮できるのです。
このエネルギーの使い方という視点は科学の色んなソレを持ち込む手法で、様々な特撮アニメで用いられてきました。仮面ライダーは初代からそうだし、ロボットアニメでも光子力、ゲッター線、GN粒子…すごいことを成し遂げてしまうエネルギーという概念は昔に発明されて今も細々と使われています。もちろん、グレンラガンの「螺旋力」もそうですね。
結論を言うと、僕はバーニッシュをあんまりマイノリティだとは感じてないんですよ。だって30年前に発生したわけだし、しかも人間を超えた能力があってそれゆえ恐れられてる。
むしろ「ニュータイプ」のようなものなんじゃないのか?次元を越えて感覚を繋げる、というのはとても近い感じがしますね。
ただ、バーニッシュは「抑圧からの解放」を望むような存在として登場するわけですが、ここにカラクリがある。実はバーニッシュの燃やしたい衝動自体が、別次元の炎生命体プロメアの叫びだったわけです。「バーニッシュの誇り」として自分で決めたと思っていたことが、実はそうではなかった。
だから、リオの本当の成長とは、真の「支配からの卒業」とは、それを自覚して改めてその力を自分の意思で扱うことに違いない。
ガロは良い意味でも悪い意味でも「火消し」を外れないので、「火を消すためにプロメアを燃やす」というアイロニーに結実したリオデガロン=ガロデリオンこそが、この作品の象徴なんです。
この映画のタイトルはなんですか?そう、『プロメア』です。
プロメアのせいでバーニッシュが生まれ、
バーニッシュのせいでクレイは歪み、
クレイの暴走が地球のプロメアを刺激し、
地球破滅の危機に陥っていた。
そしてそれを止めたのはプロメアの声を聞いたバーニッシュのリオと火消しのガロだった。これがこの映画の全てなんです。
だから、マイノリティも何もなくて(そう思わせる構図があることは認める)プロメアという凄いエネルギーが生んだ歪みをプロメアの力で正しただけ。
最後にプロメアもバーニッシュも消えるのは、完全燃焼する炎の力であるプロメアだからだし、それは後始末として当然の帰結です。
そして気づいて欲しいのは、といってもここからは完全に自己満足の領域です。恥ずかしいものを見たくなかったら飛ばして欲しい。
ずいぶん長くなったこの駄文の最初の方で、物語を「炎」というモチーフでまとめていると書きました。中島かずき氏はモチーフへの再解釈があるからまとまるんだと。
この話のオチは「火は完全燃焼しようぜ!!!」です。正確にいうと、「プロメアの完全燃焼」です。あくまでこの作品のメッセージを「エネルギーは神にも悪魔にもなる。完全燃焼してこそ意味がある」と恣意的に捉えてしまうならば。
作品を見た後のエネルギーって今も僕たちの中にある。でもそれについてグダグダ言うのって不完全燃焼でしかない。「炎上」って始まりは正しくてもだいたい間違っていくのが常です。プロメアの冒頭で、最初に燃えていたのは何でしたか?満員電車渋滞DV、そのフラストレーション。僕たちの日常の中に火種はあって、そして。この作品でのバーニッシュへの扱いに不満を持ったならもうそれがその人のプロメアなんです。(ここが一番恥ずかしい)
そのエネルギーを持てるのは決して全員ではないのだから、しっかりそれと向き合って完全燃焼させられたら良いんじゃないでしょうか。
ていうか、完全燃焼したい。バーニッシュになりたい。俺もバーニッシュになってフェティッシュな服装をしたい。twitterで漫画を描かれたいし、イケメンに声をあてて欲しい。人工呼吸をしたいし、人工呼吸をされたいよ、おれは。
それが流儀だ。