鼻紙diary

スーパーおもしろブログ

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まだ死にたくはないな、と

たとえば、俺は飛行機で酔い止め薬を飲むような男に

なってしまった。

先週末俺は北海道に完全なる遊びの目的のもと行ってきたのだけれど、帰りの飛行機でなんとなく鞄からトラベルミンを出して飲んだ。なんとなく揺れるな~と。

その時俺のなかで、飛行機に対して抱いていた少年さながらのワクワクだったり、旅の帰り特有のセンチメンタルさは霧散してしまったと思った。

俺がトラベルミンを飲んだ瞬間から飛行機は単なる移動手段に落ちぶれた。言うなれば毎朝揺られる阪急と同じ。

帰り道、寄り道したスーパー銭湯のサウナでそう気づいた。クソあちいサウナなのに少し寒気がした気がした。

こうして死んでいく(死への準備をしている)のかな、といまになって思う。あらゆるものに対して新鮮な感動や思いの発露を失ったときが死ぬべきときなのかな、と。

やべえ才能のバンドの新曲だったり、ふと見上げた空にクッソ鮮やかな月があったり、降り始めた雨に足早になるなか鼻腔をくすぐる埃のにおいとかにさ、俺はいつか何も思わなくなるのだろうか。

そうなったら俺は死ぬな。こうして文章を書けなくなるのだから。生活を消費だと思ったら人はひととして死ぬ。なあ、そうだろ生活を消費だと思って生きている大人。確かに俺たちは消費のなかで生きているのかもしれないけれど、そのなかで色々な鮮やかな発見をすることで生活は消費から遠ざかってゆくのだと思う。だけれども俺もそんな大人に少しずつ近づいているのかな。たとえば飛行機でトラベルミンを飲むみたく、さ。

こうして何だかんだ四年もblogをやれてて普通に俺は嬉しい。こうして思いを吐露できる環境があって、それを使っているうちは俺はまだまだ自分が子供のままでいられるようなきがする。俺は俺が子供のままでいる限り、新鮮な感動を味わえるのだから。

酔っぱらってないと素直に文章を書けないなあ。これが大人になることか?