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なぜオタクは伏線回収が好きなのか

こんにちは。普通にブログを書く人です。久し振りに何か感想でも書こうと思ったのですが、そのイントロとして一つ。

 

オタクってなにかと伏線に拘るねって話です。

 

ステレオタイプの「オタク」という人の主食は、やっぱり未だにアニメ・マンガ・ゲームだと思うんです。舞台やYouTuberとかも一定の需要があるけれど、やっぱり主戦場ではないんじゃないかな。

 

何にせよ、アニメというのは13話だったり26話だったりして。時間にすると6時間とか10時間とか、けっこう時間使うわけです、これ。

一年やる特撮や児童向けアニメだと二十とウン時間を、リアルタイムで追っかけたりTSUTAYA(古い?)や配信サービスで一気に観る。スピンオフやら劇場版も欠かさず観て…この体験に対して、映画ってとんでもないコストパフォーマンスなんですよね。軽ければ90分、重くても3時間くらい。

 

漫画もそう。週刊漫画とかだとそもそも終わらない。ジャンプの人気マンガのアニメなんてするともうそりゃすごいわけです。マンガを読むのにかかる時間は人それぞれですが、そもそも終わらないコンテンツというのは、もう、そうそうない。

 

やっぱり完成品としてパッケージされて出てくる映画と、「オタク」コンテンツとでは、消費カロリーが違う。で、この形態ってどっちかと言うとかなり新しい。手塚治虫のマンガとか水戸黄門とかを想像するとわかりやすいと思うんですけど、ちょっと前に遡ると物語っていうのは一つ一つで完結するのが当たり前だったんですよ。

 

商業的にも、文化的にも、スクリーンからテレビへ時代は移った。今は配信サービスとかもあってスマホで見る時代かな。みんなで同じものを見る→みんなで選んで見る→一人一人選んで見るって具合に。

 

終わらないコンテンツにおいて優先されるのは、より短期間で消費者に与える利益です。売れない名作アニメとかって、最初から最後まで構成がしっかりしてて、序盤で張られた伏線が終盤で活きてくる。でも宣伝とか一話のヒキとか、売れるアニメに比べるとそこらへんが弱い。

 

やっぱり人を惹きつけるには短いスパンでガンガン盛り上げていかなきゃならないと思うんです。そうしなきゃアニメは視聴を切られるし、今はマンガもゲームも主戦場は基本無料に移り変わってるから辛いんじゃないかと。ただ、ここらへんのコンテンツの選択肢の多さは簡単に論じれないもんですね。めんどくさいけど、でも本質はまだ変わってないと思います。

 

結局、どだいおかしいんじゃないかと。短いスパンで盛り上げなきゃ売れない。そんな物語づくりの中で、伏線とか構成とか言い出すなら、名作映画とか観てればそこから外れるわけないんですよね。

 

でも、リアルタイムの熱っていうのはどうしようもなく存在するし、極論を言えばオタクって呼ばれるような人が求めてるのは作品の質なんかより固有の体験なんじゃないかなと思うわけですよ。これも長くなるから長々と話したくはないけれど、今大事なのは「自分のタイムラインを作ること」だってことです。

 

本編、スピンオフ、実写、舞台、二次創作……コンテンツそのものを追っかける体験。きっかけはやっぱり本編の質だと思いますけど、シリーズものだとそれすら担保に入れてマルチメディアで同時に展開したりする。

 

結局作り手も受け手も「盛り上がれればいい」んだけど、だからこそ伏線を求めちゃうんですよね。だって伏線回収って雑に細かく盛り上がるコンテンツから一番対極にあるものだから。

 

構成の完成度を犠牲にしてたはずなのに、序盤の伏線が終盤に効いてくるなら、もう無敵になったような錯覚が生まれる。しょせん一時の盛り上がりと見ていたものが伏線となる。ばらばらの星が星座となっていくように繋がる、無意味なものが有意義なものになる、夢物語が現実になる感覚。感動して鳥肌が立つ、みたいな話ではなく「なるほど、ああ、それがくるのか、うあ〜〜〜〜」って頭を抱えながらニヤけちゃう感じ。書いててキモいなとも思いますがとにかく感覚の話なんです。

 

上で変に詩的な表現かましてますが、「無意味だと思われたことに意味があった」をアツく感じるのは割と共感してもらえるんじゃないかなって思ってます。意地悪で説教くさい見方をすれば、自分のそういう瞬間を重ねているのかもしれませんけど。

 

同じように、外伝の伏線が無理なく本編に活かされたり、勝手にコンテンツ内でクロスオーバーし始めたらもう最高なわけですよ。外伝やスピンオフなんて時点で、ファンの酔狂、って気持ちで手をつけてたのに、そこに意味が生まれたとしたら?「見てない人」と「見てる人」に明確な盛り上がりの差ができるわけです。自分だけの盛り上がりを求めてる人たちにとってはもうそれは最高としか言いようがない。これは今の特撮でやってるような「レジェンドキャスト」も同じです。冬映画がニュースにもなりましたけど、佐藤健は現行の「ジオウ」から入った人には登場人物以上の意味はなくても、「電王」を観てた人からしたら感慨が十重二十重にくるわけで。この「公式として感慨を与える」こと、今の製作者は求められがちですね。

 

もちろんそういうのを是としない派閥とかもいるかと思いますから、十把一絡げには出来ません。感慨にかまけて本編が疎かになったりしたら本末転倒で先細ったりするし。ただ、伏線とかシリーズものとか、そういうのを好んじゃうのはやっぱ性なんじゃないかな〜、と。映画とか小説とかパッケージされた完成品じゃなくて、終わらないコンテンツを追っかけてしまうオタクのサガ。

 

余談ですが、好きな作品は?って話をするとどうしてもそういう伏線の妙みたいな作品が出てきちゃって、人に勧めると同じ盛り上がりを共有できてなさそうということに悩みますね。描写が丁寧、とかで誤魔化した方がいいのかな……と自分語りして終わりです。今後書くとしたら文章にしてしっかり好きなものを紹介したい。