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お前は誰だ?「パーフェクトブルー」

どうもレイザです。ご無沙汰。

何か証というか標のようなものを建てるため、色んなものの感想を書く方向に変速〈シフトチェンジ〉していきます。

 

鏡に向かって「お前は誰だ?」と呟く日々を過ごしている俺としては実にタイムリーな映画を観ました。その名も「パーフェクトブルー」です。

 

まず質の高いこと高いこと山の如し。画面づくりのこだわりなんですけれども。マイルドな色調にテクノサウンドが重なってるんです。それはどうぶつの森にアマゾンがいるようなもの。マイルドな画面にマイルドな劇伴ではダメで、それこそホラーゲームで曲がり角にヤツがいる衝撃を演出するため、明らかな異質さを音楽が果たしている。

 

そう、逆にこの映画が演出しているのはむしろ地続きの怖さ。どこまでが現実なのか?どこまでが夢なのか?どこまでが此方か?どこまでが彼方か?どこまで自分?他者?真実?嘘?実体虚構生死覚醒日常異常写像欺瞞実像虚像鏡像虚虚虚嘘恐怖、全体に広がる不穏な不安、実体を持たない「漂い」がその実態。

 

だからこそ音楽はそこへの足がかり、第一歩として徹底的に機能させていて、散りばめられた演出、伏線、描写と一線を画す。引き立て、更にそれらをグズグズに混ざり合わせている。

 

いざ恐怖に出会うと高鳴る鼓動とともに「それ」に向き合わないとならないのに、終わりがない。音楽だけ止まってもまだ恐怖の残滓がそこにある。何故なら先刻の恐怖には終わりが無かったから。その残滓が積もり積もってクライマックスを何倍にも濃縮していく。

 

異常が引き立つのももちろんだけど、現実感の描写に余念が無い。ロトスコープも効果的。R-18だとは知らず観たけれど、煙草みたいに喉の奥に絡みつく性の臭いが表現されていましたね。あんまり性の臭いに詳しくないけど。現実味が俺にそう思わせてくれたんでしょう。

 

とにかく如何に嘘に立ち向かうかが現代の根本ではないかと思うのです。年代的にこの映画が世相を反映したとかではなく、裏に存在するテーマがアイデンティティに根ざしているからこそ、色褪せない愉しみになっているんだと思います。

 

ただ、大好きなところ。この映画で大好きなところは。これだけ嘘に満ち溢れていながら、最後には爽快な解明があること。これがキモで、明確に全てを解き明かし終わらせたわけではないけど、「何が嘘で何が真実かはわからない!」なんていうありきたりな話〈バニラ・フィクション〉には行き着いていない。「何が嘘で何が真実かはわからない、かも」という終わり方!こんなお洒落があるだろうか?最後には良い意味で観客の手へ物語が落ちてくる。アカレンジャーもびっくりのキラーパス

 

ところでここまで書いて思ったけどどうぶつの森にアマゾンがいるって凄いファンタジーじゃないですか?タヌキチアマゾン。

 

あとパーフェクトブルーってちょっとデュアルガシャット・パーフェクトパズルを使ってパラドが変身するブルーがステキな仮面ライダー仮面ライダーパラドクスを思い出すよね。ノルマ達成。

 

みんなも鏡に向かって「お前は誰だ?」って聞いてみてね。きっと5回目くらいでガチ辛くなります。俺は8回目で猛烈にシャワーを浴びました。また鏡があってもう何が何やら。水面も鏡。俺を越えられたら大したもんですよ。